「“早寝・早起き・朝ご飯”教育は憲法違反なのか?」櫻井よし子

「“早寝・早起き・朝ご飯”教育は憲法違反なのか?」
櫻井よし子ブログ
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2009/03/07/%e3%80%8c%e2%80%9c%e6%97%a9%e5%af%9d%e3%83%bb%e6%97%a9%e8%b5%b7%e3%81%8d%e3%83%bb%e6%9c%9d%e3%81%94%e9%a3%af%e2%80%9d%e6%95%99%e8%82%b2%e3%81%af%e6%86%b2%e6%b3%95%e9%81%95%e5%8f%8d%e3%81%aa%e3%81%ae/

隂山英男氏らの教育現場での体験から、子どもたちの頭脳は磨けば磨くほど成長し発達すること、頭脳の健全な発達が、しっかりした食事と規則正しい生活習慣によって促されることなどがわかっている。そこで隂山氏らは、賢く健康な子どもを育てるための親や教師の心がけとして、「早寝・早起き・朝ご飯」の実践を提唱してきた。

夜更かしさせずに早めに就寝させて十分な睡眠を取らせる。朝は早く起こして、しっかりと食事をさせる。こうして育て、充実した国語、算数教育を施した子どもたちが信じがたくもすばらしい成果を達成してきた姿は、多くの報道によって伝えられてきた。

ところが、日本教職員組合系の教育総研では、「早寝・早起き・朝ご飯は憲法違反」だとして非難されているのだ。

教育の現状や、韓国資本に不動産を買い取られつつある対馬の現状に警告を発してきた自民党参院議員の山谷えり子氏が語る。

「日教組系の人たちの教育への影響はまだまだ強いものがあります。彼らは驚くようなおかしなことを時として、主張します。早寝・早起き・朝ご飯の指導は憲法違反だというのも、その一つです」

教育総研の「総研ノート」のコラムから、彼らの主張を拾ってみよう。運営委員の池田賢市氏が、2007年12月20日付で書いている。

「近代立憲主義における政治体制においては、(中略)、価値における多様性の保障が大前提である」「『早寝・早起き・朝ご飯』は、人の生活の仕方、生き方という、憲法の下でけっしてその価値の優劣を示してはいけないことがらに踏み込もうとする違憲のスローガンである」「少なくとも、夜更かしや朝食を食べないことが公共の福祉に反しないことは確かである」


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食の太平洋戦争

第二次世界大戦以降、米国が薦める食のグローバリゼーションで、最も被害を受けているのは太平洋の島々である。
「太平洋戦争」とはよく言ったもので、米国文化の浸潤によって、太平洋諸島の島々では肥満との戦いが続いている。
たとえば、ミクロネシア連邦のコスラエ島では住民の70%以上が肥満、世界一肥満が多いとされるナウル島では、成人男性の80%、女性の78%がBMI値30を超える肥満で、そのうち3分の1が糖尿病を併発して大問題となった。コスラエ島は米国の助成金、ナウル島はリン酸塩の採掘で急激に米国資本が流入したことで、食文化のアメリカナイズが進み、遺伝的に太りやすかった島民の体型を変えてしまった。
2005年2月に来日した、サモアのトゥイラエバ首相は、小泉首相との会談で、同国内の肥満の問題を取り上げ、食生活の改善が課題であり、日本への支援を訴えているほどである。
「米国には食文化がない。ごちゃ混ぜの文化で、しかも世界進出を標榜している。遺伝子に優しい食事かどうかはお構いなしだから、それこそ世界中の健康を損ねてしまうのではないでしょうか。今日のように、脂のとりすぎが問題になる前は「コカコーラ」の進出による単純糖質の撮りすぎが健康問題となって、これをコロナイゼーションともじって、南太平洋の「コカコーラナイゼーション」と呼んでいたくらいです」(田仲医師)


それが沖縄の抱える問題である。それも、先の大戦の侵攻ルート、はたまた台風が日本を襲うコースをたどるように、南端の先島諸島から問題が顕著化した。データ、数値が後付する。

(与那国島では)
「沖縄県の自治体の中でも、統計上死亡率が異様に高い。その最大の原因を探ると生活習慣病だった。では、生活習慣病の原因になるものは何かといえば、肥満だった。」

「気になるのは子供の肥満も多いこと。島内の子供の4人に1人は肥満であるという統計が出ている」
こうした傾向にあるのも戦後のことである。与那国の風習に詳しい人物は言う。
「わずかな船便しか入らなかった時代は、島全体が自給自足で成り立っていた。野菜もふんだんにあった。それが、冷蔵庫が入ってきて生活が変わった。女性の仕事は楽になったし、男も牛をつぶすの必要がなくなった。」(与那国民俗資料館 池間苗さん)
与那国島では、牛を放牧して育て、必要に応じて食材にしていた。ところがいまでは、島外から持ち込まれる牛肉を冷蔵庫で保存して食べ、島内で生まれた仔牛は、日本国内の牛肉の産地に運ばれ、そこで松阪牛などのブランド牛として育てられ出荷されていくという、奇妙な構図が出来上がった。

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沖縄食文化の敗戦

1995年沖縄県「世界長寿地域宣言」
「食料植民地ニッポン」 青沼陽一郎より

「・・・
我々は、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年にあたり、我々の祖先が築いてきた独自文化を大事にしつつ、健康の大切さ、平和の尊さを訴え、未来に向けて全人類の幸せの道しるべとなるよう、沖縄県が世界長寿地域であることをここに宣言する。」
(中略)
ところが、である。
堂々と宣言したまではよかったが、それから5年後の2000年になると男性の平均寿命は、なんと全国26位にまでランクを下げてしまったのだ。(05年は25位)それも全国の平均寿命を下回っている。95年の実績が全国4位だったことを振り返れば、凄まじい落ち込みぶりである。かろうじて女性の平均寿命が全国トップを維持しているとはいえ、あまりにもバランスを欠いた異常事態だ。
しかも、同年の年齢階級別死亡率を見れば、35歳から44歳までの死亡率がもっとも高く、50歳以下の死亡率は全国平均を上回っていたのだ。
つまり、100歳以上の高齢者は多いものの、働き盛りとされる人々が、沖縄県ではバタバタと倒れているのだ。
こんな地域が「世界長寿地域」と呼べるのだろうか。
この実績を受けて、2003年1月の米国誌「newsweek」では特集記事が組まれて、この現実を茶化しているほどだ。
日本中に万円した「長寿の国・沖縄」のイメージは、戦後60年を過ぎた今日では、まさに集団幻想に過ぎないのだ。「世界長寿地域宣言」とは、ここへきてブラック・ユーモアになった。
では、いったいなぜ、こんな現実がやってきたのだろうか。
この異常事態に陥った背景には、実は米国の「目に見えない侵略」があったのだ。戦後60年の長きにわたって、着々と「食」を通じて米国は沖縄を蝕んできたのである。

******************

田仲医師は、特に肥満、高血圧、高脂血症、それに糖尿病を加えた4つをメタボリックシンドロームの「だんご4兄弟」と呼んで、注意を促してきた。この4つが、すなわち動脈硬化を招く4要素であり、特に入り口にあたる肥満が大きな社会問題になっている。
肥満が原因の生活習慣病が沖縄県民の命を奪い、平均寿命を引き下げている。
平成15年の統計を見る限りにおいては、沖縄における肥満者の割合が男女共に全国平均をはるかに上回っている。特に50代以上が際立っている。
この原因を田仲医師がズバリ指摘する。
「米国の食材が入ってきたこと。すなわち侵略です。」
ここから「第二の沖縄戦」が始まったのだ。
「しかも倹約遺伝子をもつだけに、米本国の肥満問題よりも深刻です」

その米国食材の典型が「Aランチ」と呼ばれる裏の沖縄名物だった。
「脂質(油)の取り方は、米国食材、米国の食スタイルで取るようになったことが一番の原因。特に一食の食事の量が物凄い。本土の人はあまり知らないだろうけど、沖縄の「Aランチ」を食べて見るとわかるでしょう」

<実際のAランチ:いわゆるワンプレートディッシュで、その大半を男性の掌ほどはありそうな巨大なトンカツが占めていた。皿の一角には丼をひっくりかえしたほどの白米が山を作っている。その他に、ハムやポーク(スパム)、ウィンナーが油で揚げて添えられ、かすかに見える千切りキャベツの上にはマカロニサラダが無造作におかれていた。・・・トンカツの下になにやら大きな物体が。同じ大きさのハンバーグで、しかもその間にプレーンのオムレツが挟まっていた・・・これにポタージュスープの皿がついて、甘い紅茶が飲み放題>

米国の持ち込んだこうした食材は、一般家庭にも浸透していった。
「もともと沖縄料理というものは、芋が主食の質素なものでした。油なんか数滴みそ汁に垂らす程度しかなくて。それで身体を動かす農作業をしていたから、健康で長寿を保てたんです。それが戦争から変わってきてしまった。」
沖縄料理に詳しい沖縄県栄養士会の金城典子副会長が教えてくれた。
「沖縄の代表的な料理であるチャンプルだって、油なんていまほど大量に使ってなかった。それが、戦後と同時に油が増え卵が入って、ポーク(スパム)が入るようになった。みんな米軍から流れてきたもの。だから、戦前に比べたら毎日がご馳走なんです。」
その典型的データが沖縄県における1世帯当たりの1年間の食用湯の購入量である。総務省がまとめた平成16年の家計調査では、全国47都道府県県庁所在地中、那覇市が全国トップに燦然と輝いている。
本土の人間が「沖縄料理」として慣れ親しんでいる豚を使った料理なども、実は年に数えるほどしか食べられなかった「ご馳走」の部類で、そんなものばかりを食べていて「長寿食」あるいは健康食であるはずがないのだ。
米国の占領がもたらした大量物資の流入が、沖縄の食文化を全て変えた。


米国のもたらした食文化の変化は、沖縄の人々を急激に肥満へと導いていった。
戦後のことである。
したがって、働き盛りと呼ばれる男性が次々に生活習慣病に倒れ、100歳を超える人口が多いのも、戦後の食生活をs回にした現象なのである。さらにもっと恐ろしい傾向に向かう危険性を、
「これはもはや人種の淘汰だ」
と田仲医師は指摘する。
「女性の場合、いまだに平均寿命全国一位を誇っていますが、肥満になった段階で、若い女性は高率に不妊症になっていきます。男性の場合は、統計が示すように生活習慣病になって死ぬ。、そうなると必然的に人口は減少していきます。したがって、倹約遺伝子は淘汰されていくことになる」
米国の意思は別として、これはもはや遺伝子による人種の淘汰が始まっているといえるのだ。食文化の「侵攻」によって、生き残れる遺伝子が決定してしまうのだ。

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茶席の楽しみ

呉善花(O SonFa)
日本オリジナルの旅(日本教文社)

茶席という場の楽しみ
やがて奥の襖が開いて、一人の芸子さんがいくつかの湯のみ茶碗を載せた盆を手に入ってくる。
「茶湯です」
このお湯をもってお茶を点てるのだという。茶席の前にそれに用いる湯を客に味わってもらうことが、礼儀の一つとなっているのに驚いた。
一服すると、奥の襖から廊下に出て10畳の広間に通された。ここで茶席の前に腹を温める懐石料理をいただくのである。
床の間の掛け軸には、中央に禅僧の手と思われる墨書が三行ほど。花瓶には蕾から少しばかり開いた枝つきの梅花。柱はこの部屋の歴史の奥行きを物語るかのように、見事なばかりの黒いつやを出している。
しばしおいて現れたご主人によれば、掛け軸の書は江戸時代のものだという。不思議に思ったことは、その掛け軸を入れる桐の箱が床の間の片方に置かれていたことである。箱も飾り物の一つになっているのである。私にはまったく思いもよらないことだった。韓国人にしてみれば、箱は物を入れておくためのただの道具にすぎない。
日本人は、瀬戸物一つとってみてもことのほか箱にこだわる。入れ物にこだわり包装にこだわる。包容する気持ちの表現。そこから独特の包みの文化が開かれている。
掛け軸を納めた箱には上書きがあり、上書きのされた箱とともにその掛け軸の書がある。その切り離されない関係の背景に、簡単に言葉ではいいつくせない由縁(ゆかり)の世界がひそんでいるにちがいない。箱まで飾るのはそのためでもあるのだろうか。
一人の芸子さんがお盆に小さな杯をたくさん並べて各自を廻り、好きなものを選ぶようにすすめる。私は渋い草色の底浅で広口のものを選んだ。選んだ後でよく見ると口の方に二ヶ所、金で修理をした跡がある。
「いい物を選びましたね」
隣に座った方がいう。その方は、焼き物やお茶の世界には相当にたけた方である。口が欠けて直した所が模様になって、なんとも味わいのある姿を写している、というのである。
信じられない感覚だ。一般に欠けたものを捨てきれずに修理して使うのは節約精神からか愛着からか、いずれにしても、その姿はかつてよりみすぼらしいものとなるのではないか―。
が、日本ではそうはならないケースがたくさんある。建具にしても、手ずれるほどよい味が出るという、使い込むほどに味が出るという。直しながら使っていくうちに新しい味が出てくるともいう。それと同じ流れにある道具類に対する美意識の一つなのだろう。韓国ではありえない話である。

○懐石料理の美を楽しむ
数人の芸子さんからお酒の世話を受けていると、ようやく料理が出され始める。いうまでもなく、季節の風趣が心憎いばかりに配慮されている。多くは旬の素材が使われ、刺身の一切れにすら、いますぐにでも生き返ってくるような新鮮さが、巧みに演出されている。春の草々を用いた一品をとってみても、山野からいま摘んできたばかりであるかのような、趣向をこらした引き立てがうれしい。
食器は備前焼が中心となっている。特に濃茶色、鈍色(にびいろ)など、さびた色合いのものを用いるのがここの特徴だという。そうした美の特化をベースにして、季節にふさわしい食器が選ばれている。季節の旬の料理の色合いをいっそう鮮やかにする器の工夫には、計り知れない努力が傾けられている。
もちろん器は陶磁器だけではない。小さな竹籠の底にしいた和紙の上に料理が置かれたものもある。竹籠の緑から桃花の蕾のついた枝と柳の枝が料理を囲うかのように垂れ下がっている。食べるためなのか見るためなのかがわからないほど、目の前の膳の上には豊かな遊び心で華やいでいる。
出される料理の一品一品、素材の一つ一つ、座で話題にならないものは一つもない。話題は器、素材、料理に終始し、世間話一つ出ることもない。大の男が台所かいわいの話題にこんなにも花を咲かせるなんて、懐石料理はあきらかに書画のようにその美を楽しむ文化の一つなのだ。

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逆向きの文化創造

呉善花(O SonFa)
日本オリジナルの旅(日本教文社)

握り寿司職人は粋が勝負
日本文化ほど素材へのこだわりを強くみせる文化はない、それは食文化でも同じこと。日本料理ほど、見た目から味、歯ざわり、舌触りまで、素材そのものを押したて、引き立てる料理はほかにない。そのため、どんな素材もおよそ唐辛子などで味付ける韓国料理文化で育った私は、最初のころは味が薄くてとても食がすすまなかった。フランス料理や中華料理にはしっかり味が感じられるが、和食には味の手ごたえがなくてまるで食べた気がしない。それに、カニなどわずかにゆでただけで、そのままちょこっと酢醤油につけて食べるなど、なんて貧相な食べ方なのか、なぜもっとおいしい味付けをしないのかと、ずっと疑問に思っていた。なかでも、最も首をかしげたのがにぎり寿司だった。ご飯の上に生魚の切り身を乗せて、なんでそれが料理なのか、しかも鼻にツーンとくるあのワサビの感じ、あれが嫌でたまらなかった。韓国では一般に、魚の刺身はあまり食べないが、私の故郷の済州島ではよく食べるからこれはいい、けれども、刺身なら唐辛子みそをつけるのが韓国式、醤油ではこれまた食べた気がしなかった。
韓国の「なんでも唐辛子味付け料理」は例としては極端かもしれない、しかし、やはり素材を人の手によってどれだけ加工し、見た目も味も、歯ざわりも舌触りも素材のあり方とは別な独自の質をどう作り出していくかという方向性が、諸外国の料理では目指されているように思う。
それでは日本の素材主義ではいったいどうんな方向性が目指されているのだろうか、それを私は、素材の自然なあり方の質を壊すことなく、それをどのように保存し、どのように生かすかということへの強烈な嗜好性だと感じてきた。、にぎり寿司はその最たるものといってもいいだろう。

○逆向きの文化構造
にぎり寿司に典型的なのは、日本特有の逆向きの文化創造というべきものである。つまり、自然を加工してどんどん人工化の度合いを高めていくのが一般的に文化の高度化だとすれば、その逆に文化の起源へ向かおうとする方向で文化を高度化させていくのである。
たとえば刺身とか白木のままの建物などは、そもそもは技術が未発達で、さまざまな自然条件に縛られての生活を余儀なくされていた時代に由来するものだ。技術の発達とともに文化の周縁部に遠ざけられていくのが普通である。ところが日本では、そうした文化の起源にあったものが、高度な洗練を受けつつ文化の中心部で発達し続けたり、ある時代に工夫や考案が加えられて新たな文化として再生されたりすることがしばしば見られるのである。白木の建物が神社建築の形で独自の発展を持続したり、江戸時代になってにぎり寿司が文化の中心部へ躍り出ていったように。
私の場合は、なんとしても日本の生活になじむために、あるときからキムチを断って意識的に和食を食べるようにしたのが大成功だった。そうやって、しばらく「味の薄い」和食を食べていると、だんだんと舌が鋭敏になってくるのである。それまでほとんど感じられていなかった素材の味がじんわりと伝わってきて、しだいに微妙な味付け具合の感覚までがわかってくるようになる。なるほど、そういうものなのかと、今度は和食を食べるのが楽しくて仕方がないという時期がしばらくの間続いた。

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農業の多面的機能

農業再建 生源寺眞一(岩波書店)

○農業の多面的機能
農業の多面的機能については、食料・農業・農村基本法によって、いくつかの要素を例示するスタイルで定義が与えられている。すなわち、基本法第三条には、農業の多面的機能とは「国土の保全、水源の涵養、自然環境の保全、良好な景観の形成、文化の伝承等農村で農業生産活動が行われることにより生ずる食料その他の農産物の供給の機能以外の多面にわたる機能」とある。さらに同法の第三十五条では、@国は、中山間地域においては、適切な農業生産活動が継続的に行われるよう農業の生産条件に関する不利を補正するための支援を行うこと等により、多面的機能の確保を特に図るための施策を講ずるものとする」と謳われた。これがのちに説明する中山間地域の農業に対する直接支払い制度のバックボーンである。
農業の多面的機能を平たくいえば、農業の副産物である。副産物のなかには、洪水防止の機能や水源涵養の機能のように、かたちのある物的な副産物もあれば、農耕儀礼や集落の祭事の伝承のように無形の副産物もある。無形の副産物としては、知己特有の農産物を利用した伝統料理の調理法の継承も含めてよいであろう。地域で毎年その農産物が生産されるからこそ、副産物である調理法も受け継がれてきたのである。
(中略)
経済学の概念でいえば、農業の多面的機能の多くは外部経済として性格づけることができる。農業の生産活動が、市場の取引を経由することなく、したがって対価を受け取ることもなく、人々の生活に良好な影響を与えている。これが外部経済の定義にほかならず、ほぼそのまま多面的機能にもあてはまる。もっとも文化の伝承あたりになると経済学にはやや荷が重いようである。
さて、通常のミクロ経済学のテキストでは、外部経済は市場の失敗と密接に結びついた概念として説明される。市場が何に失敗するかといえば、生産資源の最適な配分に失敗するのである。外部経済を伴っている産業の場合、その産業の真の価値は産業ほんらいの生産物の価値に外部経済の価値を加えたものであるにも関わらず、外部経済が市場では評価されないために、その産業の価値が過小評価され、それが産業への資源の過小評価につながるというわけである。外部経済が適切に評価されていると仮定した場合に比べて、産業の規模自体も過小になる。これを市場の失敗という。
j明示的にそのように述べているテキストに出会ったことはないが、市場の失敗は例外的な現象として扱われていると言ってよいように思う。つまり市場経済は資源の効率的な配分を達成する点ですぐれた制度であることは間違いないが、例外的になんらかの事情でこの機能がうまく作動しない場合がある、こういう文脈のもとで、例がい的な事情の一つとして外部経済が登場するわけである。別のかたちで表現するならば、市場経済はこの世界において充分に網羅的なのである。これが、ミクロ経済学の前提に置かれている市場観であると言って良い。
これに対して、b農業生産になんらかの外部経済が伴うことは例外的な現象ではない。それどころかむしろ外部経済を無視できる農業生産のほうが例外的であるというべきかもしれない。理由は明瞭である。それは農業が土地という開放系で営まれる産業だからである。農業は土地係数のきわめて高い土地使用的な産業である。農地は大気や水系と幅広い接触面を持つ開放系であり、したがって、健全な農業生産の営みはさまざまな副産物を周囲にもたらすことになる。それが落ち着いた農耕景観のたたずまいであり、いざとなれば雨水の流出を一時的にせき止めてくれる洪水防止機能であり、あるいは二酸化炭素を吸収し、酸素を放出する機能なのである。
2005年の時点で日本の農業のGDPは全体の1.4%であった。、GDPに占める農業の比率が低いのは、程度の違いはあれ、ほとんどの先進国に共通している。これほど小さいとは思わなかったという感想は、農業のシェアに関するある種の先入観があったことを意味する。もう少し大きなシェアではないかという先入観である。そしてこのような先入観の形成には、農業が土地使用型の産業であることが関係しているに違いない。GDPで1.4%にすぎない日本の農業もいまなお国土の13%をカバーしているのである。

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内食・外食・中食

農業再建 生源寺眞一 (岩波書店)

○内食・外食・中食
戦後の食生活の変化は、食材の構成の変化にとどまらない。食べる場所や調理する人にも大きな変化が生じている。今日では、食事を内食、外食、中食の三つのパターンに分けて把握することが普通になった。、けれども、このうち中食(なかしょく)という言葉は1980年代の終わりごろに外食業界が使い始めた造語である。
(中略)
中食とは調理済みの食品を購入し、持ち帰って食べるスタイルの食事を意味する。例えばコンビニの弁当やデパ地下の惣菜が典型的な中食食品である。
(中略)
具体的なデータとしては「家計調査」を用いて食料支出に占める外食と調理食品の割合を合計したものと、「国民経済計算報告」の食料、飲料、タバコ支出と外食産業総合調査研究センターによる外食と料理品の史上規模から推計したものがある。
図示した期間(1975年~2003年)の前半に外部化率が急速に上昇している。主として外食産業の拡大が外部化率の上をおもたらしていることもわかる。そしてこのように食の外部化率をリードした外食産業の勢いに翳りが見得始めるのが、1990年ごろのことである。この時期以降の外食率はいくぶん低下する局面を含みながら、おおむね横ばいで推移している。1990年といえば、バブル経済崩壊の時期であるが、その後の推移からみて、外食産業の停滞は不況の影響による一時的な現象ではないと考えられる。
1990年代の末ごろからは、外食産業の絶対的な規模が縮小傾向に転じたことが確認されている。外食産業総合調査研究センターの調べによると、外食産業の売上規模は、ピーク時の1997年の29.1兆円から2005年には24.3兆円に減少した。これに対して好調を持続しているのが中食産業であり、近年は中食の伸びが食の外部化率を引き揚げる状態が続いている。しかも、外食需要の一部は中食産業に吸収されている。お昼時に蕎麦屋に向かわず、コンビニ弁当を購入するなど、私たちの日ごろの行動を振り返ってみれば、さもありなんと納得できるはずである。

○厚みを増した食品産業
中食産業の勢いは、なお衰えを見せていない。かつて弁当といえば、家庭に用意されたものを家庭の外で食べるものであった。しかるに、いまは外で購入した弁当を家庭に持ち帰って食べることがごく普通の食行動となっている。おにぎりも同じである。このような食の世界の変化の背景には、女性の社会進出や単身者世帯の増加がある。過程の外で働く時間をできるだけ確保する必要性が高まっており、一人分のみの調理の非効率を避けるという意味でも、これらの社会構造の変化は食生活の簡便化を促す方向に作用している。
簡便化という点では、調理済み食品以外の加工食品が増加したことも大きく貢献している。むろん、加工食品は昔からあった。日本の伝統食品である豆腐、納豆、餅、麺、魚の干物は立派な加工食品である。けれども今日では、こうした昔からの加工食品に加えて、ハム・ソーセージ、乳製品、冷凍食品、缶詰、瓶詰め、レトルト食品など、実に多彩な加工食品が店頭に並んでいる。
産業連関表から農林水産省が資産した結果によると、2000年の時点で、飲食費の年間支出額80.3兆円のうち、加工品に支出された額は、41.5兆円と52%に達している。次いで外食の23.7兆円が30%を占め、残りの15.1兆円が生鮮食品への支出額である(19%)。外食を別にすれば食料品の購入は加工品5に生鮮食品2の比率で行われていることになる。また、外食や加工品の比率が時代とともに上昇していることも確認できる。農林水産省の同様の推計によれば、1975年の支出割合は、加工品46%、外食23%、生鮮食品32%であった。
(中略)
2000年の時点についていうならば、飲食費支出80.3兆円の価値のうち81%が食品産業に分配される構造が形成されている。内訳は食品製造業32%、食品流通業30%、外食産業19%である。これに対して食品の素材を生産する農業と水産業への帰属割合は19%にすぎない。しかもこの19%には外国から輸入された農産物や海産物に分配される価値も含まれている。いずれにせよ今日、飲食費支出の総額80兆円の八割は、加工・流通・外食のビジネスの領域で移転された価値、もしくは新たに附加された価値なのである。30年前には農業と水産業に帰属した割合が35%であった。

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残飯市場が消えて

「農業再建」 生源寺眞一 (岩波書店)

今日の飽食日本の私たちには想像もつかないが、半世紀前までは食用に売買される残飯の存在は身近な現実だった、残飯市場は姿を消した。しかしながら、現代の日本社会から残飯が消えたわけではない。むしろ増え続ける残飯の扱いに手を焼いている実態がある。
環境省の「循環型社会白書」(2005年版)によれば、2002年度にトータルで2154万トンの食品廃棄物が発生している。このうち家庭からの廃棄物が1189万トンで、過半を占める。一人当たりでは年間100キロ弱である。問題は、このうちどれほどが再利用されているかである。食品廃棄物全体でも再生利用率は22%と低いが、とくに家庭系の食品廃棄物では2%にもならない。ほぼ全量が焼却もしくは埋め立て処理されているのである。
(中略)
間接的に推測するしかなかった消費段階の食品廃棄物の実態について、2000年に農林水産省による「食品ロス統計調査」がはじめて実施された。これは世帯と外食産業を対象とするサンプル調査である。この調査によると、世帯の食品ロス率は8%であった。外食産業のロス率は5%であり、比較的低いとの印象を与えるが、宴会に限定すると16%、結婚披露宴に至っては24%に跳ね上がる。外食産業の食品ロスは、食品廃棄物のカテゴリーとしては一般廃棄物の事業系に分類される。このカテゴリーの再生利用率も4分の1程度であり、けっして高いとはいえない。

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食生活の変貌

農業再建 生源寺眞一 (岩波書店)

○食生活の変貌
戦後の日本の食生活の変貌はまことに驚異的であった。一億人の規模の人口を擁する社会で、半世紀という短期間に生じた変化としては、世界史上未曾有のものであったと考えられる。「食料需給表」を遡ってみると、1951年以降の品目別の食料供給量を把握することができる。半世紀前の1955年を起点に、年間一人当たりの供給量の推移を追ってみると。
まさに驚異的な変化である。なかでも著しく増加した品目は、肉類であり(8.9倍)、牛乳・乳製品(7.6倍)であった。同じく畜産物である鶏卵は4.5倍に増加しており、油脂類も5.4倍に増えた。一言で言うならば、日本の食生活が全般的に洋風化したのである。
果実の供給量も3.5倍に伸びている。内訳をみると、1955年の供給量12.3キログラムのうち、みかんとりんごの割合は58%であった。2005年には、みかんとりんごという日本の伝統的な果物の占める割合は35%に低下している。果物の消費も多様化しているのである。なかでもバナナ、レモン、グレープフルーツ、マンゴーといった今日お馴染みの品目は、大半が半世紀前には国内で手にすることのできなかった輸入果物であり、ここにも異国の食文化を旺盛に取り入れた現代の食生活の一端が現れている。
逆に減少したのは米であり、イモ類である。ただし、米については多少の注釈がいる。というのは、1955年の時点で米の消費は、傾向的にはまだ伸びていたからである。ピークを迎えるのは1962年のことであり、一人当たり年間118.3キログラムと記録されている。このピークの年を基準にすると、2005年の一人当たり消費量は52%である。ほぼ半減したわけである。なお、日本の米が国内生産によって100%供給されるようになったのは、1966年のことであった。それまでは外国から米が輸入されていた。その後は品種改良や土地条件の改善による国内生産量の伸びと、食生活の洋風化による国内消費量の現象があいまって、需給のバランスは急速に供給過剰に傾くことになる。そして、1969年に試行的に、ついで1970年からは本格的に生産調整が始まる。減反である。

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民族の食

「致知」 2月号(致知出版社)
インタビュー②小泉武夫
「日本人よ、食のモラルを取り戻せ」より引用

○民族の食を捨て去った日本
小泉:さて、一方で食べる側の問題です。これはもう何から話していいのやら・・・
―食べる側の問題のほうが深刻ですか。
小泉:端的にいって、日本人が食に求めるものが、「おいしくて身体にいいもの」ではなく「安くて手軽に腹を満たせるもの」に変化してしまったのではないかと感じています。
日本はこの半世紀で民族の食文化を捨ててしまったといっていでしょう。この間、脂の消費量は4倍、肉の消費量は3倍になって、本来日本人の食文化は低タンパク、低脂肪、低カロリーだったのが、高タンパク、高脂肪、高カロリーになってしまいました。
―何が原因だったのでしょうか。
小泉:大本をたどれば、戦後アメリカが「米を食べるのをやめなさい、小麦のほうが頭がよくなる。」といって、自国で余った小麦を日本に買わせました。そこから端を発して、まだ栄養が足りないからもっとバターを食え、もっと牛肉を食えと、いろいろ要求してきたのです。
しかし、彼らのいう栄養とはカロリーベースなんですね。私は昭和18年生まれ、小学校に入ったのは昭和24年。春と秋に運動会があって、騎馬戦だ、棒倒しだと激しい競技もありましたが、誰一人として骨折した子はいませんでした。それが先日、関西の小学校の運動会で4回救急車が駆けつけたところ、全部骨折だというじゃないですか。
カロリーベースでみたら、我々の子供のころの食事なんて劣悪の極みですよ。、それを食べていた私たちが強くて、なぜいまの子が弱いのか。もうこれは民族の職を捨てたからに他ならない。
―栄養価よりもその民族に合っているかが大切なのですね。
小泉:例えば、日本人はつい50年前くらい前まで豆腐のおからやサツマイモ、ゴボウやわかめといった、本当に質素な食生活を送っていました。そうすると、なるべくたくさんの栄養を吸収するために腸が長くなるんですね。一方、アングロサクソンはもともと栄養のいいものを摂取していたから、腸が短いわけ。
そのように民族の食に応じて人間の身体、要するに遺伝子ががつくられます。それが、まるで草食動物が肉食動物に変わったくらいに急激に日本人の食が変化し、もう身体がついていけなくなっている。これほどの短期間に急激に食文化が変わった国は世界に類を見ません。日本人がおかしくならないはずがないのです。

○強く優しい日本人をつくった七つの食材
―いま、日本人は自分たちの遺伝子と合わない食生活を送っているわけですね、
小泉:それがはっきりと現れたデータがあります。都道府県別の平均寿命ランキングを見ると、この5年のうちに沖縄は長寿権ではなくなりました。
―え、そうなんですか。
小泉:いま男性の平均寿命の一位は長野、二位は滋賀、沖縄は二十七位まで下がりました。
もともと沖縄は「琉球王国」として独立していて、日本よりもむしろ中国の影響を受けていました。だから食にタイs知恵も「薬食同源」つまり食べものは薬であるという中国古来の考えが徹底していました。
ところが、戦後アメリカに統合されましたね。日本に変換されてからも米軍基地があるから、その影響で食文化を含むライフスタイル全般がアメリカ化されてしまいました。
沖縄は県庁名例ですが、いまや日本全体が欧米の食生活に席巻されたといっていいでしょう。先ほど脂の消費寮は4倍、肉の消費量は3倍と申し上げましたが、逆に3分の1~4分の1までに減った栄養分もあるんです。
―何でしょう、それは
小泉:かつて日本人が丈夫で心優しかったじぢあに食べていた食材は、実は七つしかないんですね。
・根茎
・菜っ葉
・青果(果物、トマトやキュウリなどの瑞々しい野菜)
・マメ(特に大豆)
・魚
・海藻
・米
今、こういった食材は日本の食卓から姿を消しつつありますが、これらに多く含まれているもの。それがミネラルです。
―ミネラルが昔と比べて三分の一近くまで減ってしまったと。
小泉:はいミネラルというのは大切な働きをしていて、まず最近の医学で明らかになったのは、ミネラルが不足すると認知賞が早く出やすいといいます。
また、男性側の原因で赤ちゃんができにくくなる。また、「キレる」のも、ミネラルの不足と大いに関係しているおいう研究結果が出ています。
(中略)
いま子供たちに対して食育をしなければといわれますね、しかし、私は、食育とは大人がしなければならない勉強だと思います。大人が食の意識を高めること。要するに、安さや手軽さを求めず、安心で安全な日本の食材を使って手間と心をこめて、日本人の身体にあった食事をつくって食べること。
そうすれば日本の食料自給率は上がり、徳のあるこどもたちが育つのです。それが日本が豊かで徳のある国になる第一歩ではないかと私は考えています。

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