農耕はむしろ北のほうに早く発達したのではないか
「食の文化」
「日本人とたべもの」宮本常一 より
ソバというのは北から南へだんだん広がっていったのではなかったろうか。いままで北というとすぐ暗い、しかも文化が非常に遅れているようにわれわれは考え勝ちですけれども、どうもそんなに暗くじめじめしたものではなくて、農耕はむしろ北のほうに早く発達したのではなかろうか。農耕だけではない、畜産においても同じことがいえるのではなかろうか。
といいますのは、「続日本紀」の元正天皇の霊亀2(716)年の条に渡島および出羽の蝦夷が馬千頭を献上したという記録があります。これはたいへんなことだったと思うのです。その馬をいまの奈良の都までどのようにして運んだのだろうか。陸路を歩ませて運んだのか、船で持ってきて、敦賀で陸揚げしてそこから歩いたのか、いずれにしても千頭という馬が、あの時期に北の北海道から送られてきているということは、それは見逃すことのできないだいじな問題だと思うのです。
その次の平安時代になりまして。関東あるいは中部地方から馬を朝廷に献納します。その献納します馬の数というのはせいぜい20頭くらいずつなのです。小野・立野の牧であるとか、あるいは望月の牧であるとか、そういうところから馬をひいて京都へでてきております。それがいまいいましたように北海道と津軽を含めて千頭の馬がやってきたということは、それ以上の馬が津軽や北海道の原野で駆け巡っていたということが考えられるわけです。しかも馬は本来人の乗るものですが、日本では民衆は馬の口をとってひいています。これはめずらしい習俗ですが、しかもアイヌの間には乗馬の習俗はなく、それが全国に広がったのではないでしょうか。
そういうふうに見て行きますと北海道というのはわれわれが考えているよりははるかに充実した生活があり、本州へも影響を与えていた。つまり貝をとってたbヴぇ足り、あるいは獣をとって食べたり、あるいは魚をとって食べたり、それ以外にすでに農耕が起こっていた。農耕が起こらなければ、北見のようなところに古代の多くの住居のあとが残っているはずはないと、そう考えていいと思うのです。そのようにしてきたから南へずうっと下っている文化があったのだ。そうしてその境になるのが、おそらくは富山県から静岡県へ筋を一本引くファッサマグナの線ではなかったろうかと思います。一方朝鮮半島を経由してソバはまた入ってきたと思われます。
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