茶席の楽しみ
呉善花(O SonFa)
日本オリジナルの旅(日本教文社)
茶席という場の楽しみ
やがて奥の襖が開いて、一人の芸子さんがいくつかの湯のみ茶碗を載せた盆を手に入ってくる。
「茶湯です」
このお湯をもってお茶を点てるのだという。茶席の前にそれに用いる湯を客に味わってもらうことが、礼儀の一つとなっているのに驚いた。
一服すると、奥の襖から廊下に出て10畳の広間に通された。ここで茶席の前に腹を温める懐石料理をいただくのである。
床の間の掛け軸には、中央に禅僧の手と思われる墨書が三行ほど。花瓶には蕾から少しばかり開いた枝つきの梅花。柱はこの部屋の歴史の奥行きを物語るかのように、見事なばかりの黒いつやを出している。
しばしおいて現れたご主人によれば、掛け軸の書は江戸時代のものだという。不思議に思ったことは、その掛け軸を入れる桐の箱が床の間の片方に置かれていたことである。箱も飾り物の一つになっているのである。私にはまったく思いもよらないことだった。韓国人にしてみれば、箱は物を入れておくためのただの道具にすぎない。
日本人は、瀬戸物一つとってみてもことのほか箱にこだわる。入れ物にこだわり包装にこだわる。包容する気持ちの表現。そこから独特の包みの文化が開かれている。
掛け軸を納めた箱には上書きがあり、上書きのされた箱とともにその掛け軸の書がある。その切り離されない関係の背景に、簡単に言葉ではいいつくせない由縁(ゆかり)の世界がひそんでいるにちがいない。箱まで飾るのはそのためでもあるのだろうか。
一人の芸子さんがお盆に小さな杯をたくさん並べて各自を廻り、好きなものを選ぶようにすすめる。私は渋い草色の底浅で広口のものを選んだ。選んだ後でよく見ると口の方に二ヶ所、金で修理をした跡がある。
「いい物を選びましたね」
隣に座った方がいう。その方は、焼き物やお茶の世界には相当にたけた方である。口が欠けて直した所が模様になって、なんとも味わいのある姿を写している、というのである。
信じられない感覚だ。一般に欠けたものを捨てきれずに修理して使うのは節約精神からか愛着からか、いずれにしても、その姿はかつてよりみすぼらしいものとなるのではないか―。
が、日本ではそうはならないケースがたくさんある。建具にしても、手ずれるほどよい味が出るという、使い込むほどに味が出るという。直しながら使っていくうちに新しい味が出てくるともいう。それと同じ流れにある道具類に対する美意識の一つなのだろう。韓国ではありえない話である。
○懐石料理の美を楽しむ
数人の芸子さんからお酒の世話を受けていると、ようやく料理が出され始める。いうまでもなく、季節の風趣が心憎いばかりに配慮されている。多くは旬の素材が使われ、刺身の一切れにすら、いますぐにでも生き返ってくるような新鮮さが、巧みに演出されている。春の草々を用いた一品をとってみても、山野からいま摘んできたばかりであるかのような、趣向をこらした引き立てがうれしい。
食器は備前焼が中心となっている。特に濃茶色、鈍色(にびいろ)など、さびた色合いのものを用いるのがここの特徴だという。そうした美の特化をベースにして、季節にふさわしい食器が選ばれている。季節の旬の料理の色合いをいっそう鮮やかにする器の工夫には、計り知れない努力が傾けられている。
もちろん器は陶磁器だけではない。小さな竹籠の底にしいた和紙の上に料理が置かれたものもある。竹籠の緑から桃花の蕾のついた枝と柳の枝が料理を囲うかのように垂れ下がっている。食べるためなのか見るためなのかがわからないほど、目の前の膳の上には豊かな遊び心で華やいでいる。
出される料理の一品一品、素材の一つ一つ、座で話題にならないものは一つもない。話題は器、素材、料理に終始し、世間話一つ出ることもない。大の男が台所かいわいの話題にこんなにも花を咲かせるなんて、懐石料理はあきらかに書画のようにその美を楽しむ文化の一つなのだ。
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- 茶席の楽しみ(2009.01.10)


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