米のイメージはいま急激に変わろうとしている

「食の文化」(講談社)
「食事と文化」多田道太郎より

私たちは、ものを食べているのではなく、文化を食べている。あるいは情報を食べている。日本人の食事は、かつてはなにか神秘的なものでした。神様仏様にありがとうございます、おさがりをいただく、という感じでした。それがやがて神様の薄れてきた現代社会というものになってきますと、「力」がひとつの神話になりました。エネルギーがつく、もりもり元気で働く、こういうものが昭和30年から40年にかけてはまだ象徴でありえたわけですね。
ところが石油ショックのころから私たちの象徴は、「健康」に変わってきたのです。しかし、健康というものがこれまたあいまいな概念でありまして、やがて次に移っていくでしょう。

私はお米についてこう思うのです。「健康」よりも「美」よりも、もっと感覚的な何か、そういうものが将来はイメージ化されて米の周辺に立ちのぼるのではないか。
農民がたいへんだから米を食べようとか、そういう発想ではないのです。ただ日本人の美意識というものが、伝統的に米と深く結びついていたこともまた事実であります。米作が徹底的に落ちてしまった場合、日本文化が徹底的打撃を受けるということはまずまちがいがありません。


この文章は昭和55年発行の本から取ったもの。今現在の米のイメージはなんだろうか。

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米のありがたみをわかっていないのではないか。

「食の文化」(講談社)
「食事と文化」多田道太郎より

米のありがたみをわかっていないのではないか。
日本料理はへんな料理といったら語弊がありますが、世界の中で特殊な料理です。
そのいちばんの基本はお米であります。一般に、食文化の保守性ということを申します。これは本当に不思議なもので、いろいろな文化の中で、もっとも保守的なものは食です。世界中そうなのです。
個人差がありますけれども、大体35歳が一つの区切りでありまして、中年になって、成熟すると日本料理が美味しくなってきます。いわゆる西洋料理というものよりも日本料理へ写ってくる年齢というものが35歳。あるいは40歳、このころに一種の転向現象が起こってまいります。
西洋では転向というものは宗教をめぐって起こりますけれども、日本の転向は食事をめぐって起こることが多いのです。感覚的なものが、日本人の生活の中で非常にだいじなのですね。無意識のうちに、私たちの価値観をすべて変えていく、そういう面があります。外国へ行って外国の料理が食べられない、肉が食べられないという人がとても多いのです。米を持っていくという人があります。ひどいのになると水までかかえていくなんていう人もあります。

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