シアトルとパリの牡蠣は宮城種
「森と山と日本人 自然と人間の共生」 仙道富士郎編著 (NTT出版)
森は海の恋人 畠山重篤 より
北上川が流れ込む石巻湾は南に口がひり低手、夏になると南風が河口に向かって吹きます。それで牡蠣の幼生が北上川の河口に集まるのです。川からはえさになるプランクトンを増やすよう分が注いでおりますから、えさが豊富です。ですからそこは、「牡蠣の種」の世界的な産地になっているのです。この種は宮城県で採れますので、宮城種といいます。
イチローが所属する大リーグのマリナーズの本拠地、アメリカのシアトルで養殖している牡蠣もじつは宮城県から行った宮城種なのです。これにも歴史があって、いまから100年ほど前、沖縄出身の宮城新昌さんという方がアメリカに移民として滞在中に、シアトルからタコマという所に船で行こうとしたとき、たまたまアメリカ合衆国大統領のせおどあ・ルーズベルトと乗り合わせるのです。ルーズベルトが当時これからの漁業は捕るだけでなく「シー・ファーム(海の農場)が大切だ」という構想を宮城新昌に言ったというのです。それがきっかけになって、彼はアメリカ・シアトルの牡蠣養殖場のオリンピア・オイスター・ファームというところへ修行に行って牡蠣の勉強をして、日本に帰ってきました。シアトル辺りには大きな牡蠣がなくて、オリンピア・オイスターという小さな牡蠣しかないので、なんとか日本の大きな牡蠣の種をアメリカに持っていって、向こうでそれを育てられないかという研究を約100年前にやるのです。それが実って昭和40年代まで北上川の河口の石巻湾から、ものすごい量の牡蠣の種がアメリカへ輸出されていったのです。当時は1ドル360円の時代ですが、松島から石巻にかけてドルを稼ぐ重要な一次産品だったのです。そういう歴史があるのです。
あるいは秋のパリ、マロニエの木陰のしゃれたレストランに行くと「フリュ・ド・メール」という料理があります。銀の皿の上に牡蠣とか海の幸がたくさん出ます。日本でいえば舟盛のようなものです。メールは海です。フリュはフルーツです。彼らはそれを「海のフルーツ」といっているのです。この料理の主役は牡蠣です。フランスに行って私は牡蠣を食べてきたと胸を張っている人もずいぶん多いのですが、実はパリのこの料理も宮城産の「牡蠣の種」に由来するのです。というのは、昭和40年代にフランスの牡蠣にウィルス性の病気が出て、全滅したのです。それでどうしたらいいかといろいろ考えているうちに、アメリカへ日本の宮城県の牡蠣が行っていたということに目をつけまして、なんとエールフランスの飛行機でこの牡蠣がフランスへ飛ぶわけです。そして牡蠣の種を作っている種牡蠣屋さんたち、アメリカには売れる、フランスにも売れるというので、増産に次ぐ増産をして3年くらい大儲けをしたのです。そうしたら日本の東北地方と同じような水温と気候のブルターニュ地方で、その牡蠣が産卵して向こうで種が自然につくようになってしまったのです。残念ながら種牡蠣は売れなくなってしまいました。
私たちがフランスへ行って同業者に合いますと、俺たちを救ってくれたのは日本の牡蠣だといまでも手を差し出されます。現在フランスでつくっている牡蠣のなんと9割が宮城県から行っている宮城種なのです。
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