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2020年5月25日 (月)

イエローストーン国立公園では、公園の外に出たオオカミは害獣としてすべて射殺される~本当でしょうか?

 私たちもイエローストーンのオオカミについての情報はまだ100%は把握できていません。様々な情報に接していると知らないことがまだ出てきます。だからイエローストーンの情報をフォローしているのは楽しいのですが、それほどボリュームのあるにもかかわらず、時に断定するようにこういうことを言う方がいます。

 

「イエローストーンでは公園の外に出たオオカミは放牧牛を襲う害獣として即座に射殺されている」

 

そうではないのですが、なかなかきちんと説明しきれていませんでした。

最近になって、イエローストーンの関係者二人、再導入時の公園関係者の一人ノーム・ビショップ氏と下記の雑誌記事とイエローストーンのオオカミ研究者リック・マッキンタイア氏の情報により、オオカミが公園の境界付近でどのような位置づけにあるのかがわかるようになりました。

公園の外に出たオオカミは射殺されてしまうことがよくありますが、その理由は家畜被害とは無関係なものでした。

 

ノーム・ビショップ氏は

イエローストーンがオオカミと再び過ごした25年間

25 Years of Re-living With Wolves In Yellowstone

https://mountainjournal.org/lessons-learned-25-years-after-wolves-restored-to-yellowstone

 

という雑誌記事でイエローストーン国立公園周辺の3州(モンタナ、ワイオミング、アイダホ)のエルクの個体数について、下記のように書いていました。一言でいえば、オオカミ再導入後エルクは減っていない、増加しているというのです。公園内では減っているのは確かですが、公園の外では増えている。それはいったいどういうことだろう、と疑問に思いました。

この記事での彼のコメントは、いまだに続いているオオカミ反対者の論陣に対して、主にハンターに向けて、「ハンターの獲物は減ることはない」とアピールするためのものでした。そのために数字を挙げて、エルクハンティングに影響はない、と強調しています。

「数多くの研究から、私たちは今、オオカミがコロラドの野生の自然のバランスを蘇らせる力になることを知っている。狩猟へのオオカミの影響に対する懸念は、アイダホ、モンタナ、ワイオミングのデータによって和らげることができる。

 

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2020年5月23日 (土)

オオカミ再導入問題を議論するためのステップ1 ~日本列島の自然にとって最もよい選択肢は何か


オオカミ再導入をなぜ議論しなければならないのかを広く知ってもらうためのステップをあらためて考えています。
この問題を知らない人にストレートに「オオカミを放すんですよ」と言えば「そんな怖いこと」と言うにきまっています。でも、問題はそこにはないのです。
まず、この問題の根っこがどこにあるかをまったく知らない人のためにも、なぜそんな提案が出てこなければならないのか、ということから、みんながこの問題を議論し、自ら判断するための論ずべき点を整理しました。賛成でも反対でも、日本列島の自然にとって最もよい選択肢は何か、日本の社会にとって最もよい選択肢は何か、考えてみていただきたいと思います。

①現状認識
まず日本の自然の現状がどうなっているか、それがそもそもこの話の出発点です。
日本の自然のなかでシカが増えすぎて何をしでかしているかを知っていますか?
それを知ったうえで話を始める必要があります。

シカの増えすぎを知っている人は多くなってきたと思いますが、それが農業被害のことだったり、花が食べられて観賞できなかったりということだけの場合は多く、つまりそれは「人間が困る」直接的な被害の情報です。
本当に深刻な問題は、シカが増えすぎることで絶滅に追い込まれる種、植物や小さな昆虫、鳥、小動物があり、植生がはぎとられた土壌が流出して山自体に崩れる危険が起きかねないこと、その結果生態系全体が失われることにあります。それはやがて人間社会にも跳ね返ってくることになる、間接的な、より大きな被害をもたらす可能性があります。
シカの食欲は旺盛でほぼすべての植物を食べるようになり、その因果関係は広範に及びます。
そのような状況がシカの生息するどんな地域にも起きています。
登山者の撮影する風景写真がSNSなどに投稿され、全国の山の登山道付近の景観を見ることができますが、シカの食痕が見えない地域はほとんどありません。かなり深刻な状態です。

農業被害だけでなく、このような状態を知っているか、どう考えるべきかが議論の出発点です。

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2020年5月22日 (金)

荒俣宏信州でオオカミの話を聞く(トランヴェール)~抜けている生物学の視点

もう2年も前になりますが、新幹線の座席に挟まっている雑誌「トランヴェール」(2018年7月号)に荒俣宏先生が信州で訪ねて珍しいものを訪ね歩く企画記事が掲載されていました。ちょうどその時期に新幹線移動の機会があり、持ち帰ってきたものです。


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記事中、荒俣先生は信州を訪ねて「ニホンオオカミ」の伝承について博物館員から聞き、
「実際の記録を見るとやっぱり危険な存在なんだ」おばあちゃんから聞き取るのは「オオカミの子がかわいかったよね、といった、いわば例外的なエピソード。」「歴史学で扱う文献記録は、実際の出来事、事件についてのものだから、襲われた話が記録されがちじゃないか」
と解説をされています。
民俗学と歴史学のアプローチの仕方は確かに違うようです。


この記事を読んだ私は、荒俣先生に疑問をぶつけたいと思いながら、連絡先がわからずそのままになっていました。資料を整理していたらたまたま出てきたので、読み返したところです。
このブログのつぶやきが荒俣先生に届くかどうか、まあまったく届かないと思いますが、書いてみます。

荒俣先生、「オオカミ」という動物についての記録、文献なのだから「生物学」の視点も必要ではないですか?歴史学も民俗学も生物学の視点がまったく欠けていますよ。
 

2020年5月17日 (日)

江戸時代、東北地方のオオカミによる人身被害とブルガリアの「野犬の研究」

今年3月の当ブログの記事で、東北地方でおきたオオカミによる咬傷事件について書きました。

2020年3月21日 (土)
江戸時代、東北地方のオオカミによる人身被害は何だったのか?

批判対象とした文献に
・村上一馬「人馬 喰う狼 狼を獲る人びと ―「盛岡藩家老席日記 雑書」から―」東北歴史博物館研究紀要14 2013 (文中「紀要」とする)
があります。
村上一馬氏は狼の生息場所について「東北歴史博物館研究紀要14」でオオカミの生息範囲についてこう書かれています。
「捕獲場所の多くは村内や村の近く、または城下や町などであり、人里から離れた山野で捕獲された記録はない、捕獲場所と棲息場所が一致しているとは限らないが、狼は人里近くの平野部に棲息する動物であったと思われる。千葉徳爾氏も「奥山に狼は生息していない。山麓の平地に極めて接近した山林が、その常住の場所である」と指摘している。」

私は、オオカミはこのような 生息範囲で生きる動物ではなく、これは犬だろうと批判しました。
その批判は主にオオカミの性質、行動に関する研究成果から考えてのことですが、犬については実証的な研究を参照したわけではなく、たとえば赤城山周辺の村落に捨てられた野犬が定住し、群れているという数年前のニュースなどを参考にしていました。

最近になり、下記のようなニュース映像が流れ、あれれ、と思ったところです。
この映像はブルガリアの野生動物研究者が野犬の行動に注目し、追跡した成果を取材したものです。



このニュースの照準は「犬が野生に返る」というところにありますが、私は別の観方をしました。
インタビューに答えた研究者によれば、野犬は昼間人里の近くで暮らしています。そして夜間に山に移動して集団化し、シカを狩る行動を示していました。街中では単独行動、山では集団になるのです。

東北で江戸時代に多くの「狼」が人を襲い、退治されました。それは上記の村上氏の論文にあるように人里にいたからです。しかも何十頭も大量に退治された地域もあるところから、オオカミのように家族群を形成してはいないと推測されます。
このブルガリアの野犬の研究に注目すれば、東北地方で起きた狼の襲撃・退治案件は、
「オオカミではなく野犬」
だと推測可能です。

また、犬は集団化するところから、東北各地で収集された「大集団のオオカミ」という説話にも「野犬ではないのか?」という疑問をなげかけます。

2020年5月16日 (土)

1960年「緑の世界仮説」とは何か③~「共生」と「棲み分け理論」」

 

「緑の世界仮説」の最後の段落には、種間競争をテーマにした研究が列挙されています。

 

「肉食獣の間では種間競争への明らかな適応は一般的ではないが、生息地から相互に排除しあうという形での活発な競争は、扁形動物(Beauchamp and Ullyot,1949)やサンショウウオ(へアストン,1951)の事例で記録されてきた。最も一般的には種間競争の結果はニッチの多様性という形で実現する。」

 

「これ(ニッチの多様性)は鳥の事例(ラック,1945;マッカーサー,1958)、サンショウウオの事例(へアストン,1949)、その他の捕食者グループの事例で記録された。動物の特異性の一部は種間競争の影響によるものだという可能性はかなり高い。」

 

「それに匹敵するくらい重要なことには、密度依存の例外が食植者の間では頻繁に発生するということである。バッタの事例(バーチ1957)、アザミウマの事例(デヴィッドソン、アンドレワーサ1948)はよく知られた例である。さらに、食植者の間で、資源競争ではなく共生の事例が例証されている。バッタ(ロス、1957)、チャタテムシ(ブロードヘッド1958)などの例である。」

 

「後者の事例では、共生とは主として食べ物と生息地が異なっていることによるのである」

 

アメリカでもやはり身近な動物が研究対象である時代でした。大型動物のフィールドワークが数多く形になっていくのはまだもう少し時代が進んでからになります。そのなかでロイヤル島やアラスカでオオカミの研究が進んだのは稀有なことでした。

 

ここで連想するのは日本の生物学です。アメリカで昆虫や水生動物が対象になっていたのと同様、日本でもごく初期の生物学は身近な河川周辺が調査フィールドでした。こうした研究環境のなかで今に名前の残る成果をあげたのが今西錦司、可児藤吉の「棲み分け理論」。1933年、対象となったのは水生昆虫の「カゲロウ」です。

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1960年「緑の世界仮説」とは何か②~草食動物と捕食者は異なる栄養段階にあり個体数調節の機構も異なる

 

 

本論はちょっと長いので、訳して半分くらいに要約したのが以下です。かなり意訳、超訳しています。まず全体をご覧ください。

「この小論の目的は、多くの生物群集の個体数調節のパターンを論証することである。」と最初に目的を提示しています。

 

  • 一般には植物は豊富である。草食動物によって緑の植物が明らかに減少していること、大規模な気象上の大災害による破壊という二つの現象は例外である。全体として考えれば生産者(植物)は必要とする資源の枯渇によって制約される。たとえば砂漠における水のような資源である。

 

  • 草食動物による緑の植物の減少という例は、草食動物が、人間からも自然の変動からも護られているときに起きる。カイバブ高原のシカの群れのように増えすぎるとき、げっ歯類に病気が蔓延して多くの昆虫が爆発的増加をするときなどである。通常の状況では草食動物の個体数は食糧供給によっては制限されず、その個体数をコントロールするのは天候の予期せぬ変化であると考えられてきた。

 

  • 草食動物の爆発的増加という現象はしばしば在来種よりも導入種によって起きる。天候が原因であるとすれば、侵入者が経験したことがない天候に適応して繁栄し森を枯らすことができることを考えると、その適応は通常の適応というよりは予め適応力をもっている「前適応」というのがふさわしいが、私たちはこれを受け入れることはできない。

 

  • 残る草食動物の調節方法は「捕食」である。(寄生なども含む)草食動物が増えすぎる場合、自然界での捕食者が絶滅したか、あるいは草食動物が新しい気象条件のもとで生存できる一方で彼らの天敵はそうではなかったと考えられる。

 

  • 捕食者が除去された場合の効果には膨大なサンプルがある。カイバブ高原のシカの歴史は、最もよく知られている事例である。数種のげっ歯類の伝染病の原因は、地域的な捕食者の絶滅に原因があるとされている。さらに最近、イモムシを殺すために広範囲な森に農薬を散布したため、カイガラムシの発生を招いた。カイガラムシは農薬散布の影響を受けなかったが、その捕食者である甲虫やその他の天敵はそうではなかったからだ。

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1960年「緑の世界仮説」とは何か①~同時代の日本は何を見ていたか

捕食者の役割、オオカミの生態系での役割を探求してきたアメリカの生態学をもう少し歴史的に知ろうと思い立ち、「緑の世界仮説」と呼ばれるHSS(ヘアストン、スミス、スロボトキン)の論文を日本語に訳してみようと考えました。

この論文は私がオオカミの役割に関心を持ち始めた頃には、ほとんど知られていなかったように思います。「緑の世界仮説」「HSS」という単語だけが時折出てきましたが、その内容についてはよくわかりませんでした。論文の翻訳はいまだに世に出ていないように思います。

この論文は1960年にアメリカンネイチャーという雑誌に投稿されたもので、それ以前の30年分の研究成果、思考実験、議論を経てそのエッセンスを凝縮したような結節点にあたるものだと思います。そしてHSSの一人スミスの研究室からロバート・ペインが出てキーストーン種、栄養カスケードの概念を発見する展開がその後の30年に待っています。そこでこの論文を解説をつけて日本語で読めるようにしておくべきだと考えました。

論文の原タイトルは

 

Community structure,population control,and Competition

ネルソン・G・ヘアストン、フレデリック・E・スミス、andローレンス・B・スロボトキン(ミシガン大学動物学部)

 

◆緑の世界仮説と捕食者の役割を研究してきた人たち

 

論文冒頭にはこの論文の背景にあたる状況説明があります。

 

「自然界の動物の頭数が制限される体系は30年にわたって精力的に議論されてきた。

(ニコルソン、バーチ、アンドレワーサ、ミルネ、レイノルドソン、ハッチンソン、そして後のコールドスプリングハーバー研究所のシンポジウム、1957を参照)

このテーマの重要性を否定する生態学者はほとんどいないだろう。生息数調節の仕組みは私たちが自然を理解し、そのふるまいを予言する前から知られていたに違いないからである。このテーマの議論は通常単一の種の個体数に限定されてきたけれども、二つあるいはもっと多数の種が含まれる状況であってもその重要性は変らない。」

 

「コールドスプリングハーバー研究所のシンポジウム、1957」は、参照文献に掲載されています。

 

The use of conceptual models in population ecology Cold Spring Harber sympo

 

上記のようにアメリカでは「自然界の動物の頭数が制限される体系」が、1927年のチャールズ・エルトン「食物連鎖」の発見と浸透を契機として、またはそれとほぼ同時進行でその研究土壌が整ってきたのだと思われます。HSS以前の研究とはどのようなものだったのか、オオカミ研究を中心にその進展をたどってみます。

 

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2020年5月15日 (金)

遠野物語のオオカミ~江戸時代まで東北に多数の野犬が群れていた可能性あり

柳田國男の「遠野物語」にもオオカミが登場します。

36、37、38、39、41、42話がそれです。そのなかに明らかにオオカミではない動物が描かれている話があります。

37話
ある時二、三百ばかりの狼追い来たり、その足音山もどよむばかりなれば、あまりの恐ろしさに馬も人も一所に集まりて、そのめぐりに火を焼きてこれを防ぎたり。されどなほその火を躍り越えて入り来たるにより、つひには馬の綱を解きこれを張り回らせしに、落とし穴などなりと思ひけん、それより後は中に飛びいらず。遠くより取り囲みて夜の明くるまで吠えてありきとぞ。


41話
向こふの峰より何百とも知れぬ狼こちらに群れて走り来るを見て恐ろしさに堪へず、樹の梢に登りてありしに、その樹下をおびただしき足音して走り過ぎ北方へ行けり。


恐い話ですよね。
でも、これはオオカミではありません。
何百という狼が集まることは生物学的にありえないことだからです。オオカミは強固な広いナワバリをもち、家族単位で暮らす動物です。この行動が崩れることはあり得ません。


犬の集団であれば、血縁関係に関係なく集まるためその可能性はあります。
前回の記事、只野真葛の収集した「赤毛、白毛、白黒斑の」山犬というエピソードや山津見神社のオオカミの天井絵に白黒斑や白毛のオオカミが描かれていることなども考えあわせると、東北地方にはオオカミではなく、野犬が集団を作っていた可能性が考えられます。


2020年5月14日 (木)

江戸時代、奥州で野犬を山犬と呼んでいたエピソード

日本で初めてのオオカミ研究者平岩米吉は、様々な古文献を収集していました。
その中に江戸時代の女性国学者只野真葛の著書から拾いあげたオオカミと人間に関わるエピソードがありました。
・・・・・・・・・・
仙台の女学者、只野真葛の「奥州波奈志」(おうしゅうばなし)より
寛政のころ(1789~1800年)奥州宮崎軍多田川村(現、宮城県加美郡中新田町)の二人の兄弟が、山狩に行くと瓦に14、5頭の狼が集まっていたが、その毛色は赤毛、白毛、白黒の斑などであったというから、これは明らかに犬で狼ではない。しかし夜に入り帰路につく時、周囲の山谷で物凄く吠えるので、今度は「たけだけしき憎き山犬めら」と叫んだという。
つまり野生化した犬を狼とも山犬とも呼んでいたのである。
(平岩米吉「狼ーその生態と歴史ー」より)
・・・・・・・・・・
只野真葛とは、ウィキペディアによると
只野 真葛(ただの まくず、宝暦13年(1763年) - 文政8年6月26日(1825年8月10日))は、江戸時代中期・後期の女流文学者で国学者。父の影響で蘭学的知見にも通じ、ときに文明批評家[1]や女性思想家[2]と評されることもある。『赤蝦夷風説考』の筆者工藤平助の娘で、別号は綾女。本名は工藤あや子(綾子)、または単にあや(綾)。「工藤真葛」、「真葛子」、「真葛の媼(おうな)」とも称される。只野は婚家の姓。読本の大家として知られる曲亭馬琴とも親交があった。馬琴に批評をたのんだ経世論「独考(ひとりかんがへ)」、俗語体を駆使して往時を生き生きと語った随筆『むかしばなし』、生まれ育った江戸を離れて仙台に嫁してからの生活を綴った『みちのく日記』など多数の著作がある。
また「奥州波奈志」とはどんな著書かというと
『むかしばなし』巻五・六所収の仙台での聞き書きと重複するものが多い。奥羽地方で伝え聞いた伝説を集めた作品が多いが、なかには江戸と奥州にまたがる話もあり、単純に地方の説話集とはいえない。江戸からみた奥州のイメージ、地方からみた江戸のイメージを相互に形づくろうという姿勢がみられる[70]。話題は狐や大猫、「疱瘡婆」などの怪異譚、大鷲の話、奇人変人、祟り、相撲取りなど。超自然的な話や愉快な人物の話が多く収載されている。『むかしばなし』でエピソードとして簡潔に述べたものを細部まで詳細にあらわし、文章を整えたものが多くまじる。

こうした勘違いはおそらく他にもあって、ニホンオオカミに関する本の中にはよく登場しますし、オオカミを描いた絵も同様です。たとえば福島県飯館村の山津見神社で復元されたと数年前に報道された狼絵のなかにもあります。
山津見神社オオカミ天井絵復元プロジェクト
https://yamatsumi-jinja.tumblr.com/
だいたいはここに写っているようにハイイロオオカミ的な色彩なのですが、中にこのような絵も含まれています。
Photo_20200514093501

白いオオカミは北極圏以外ではほとんど出現しないと思われます。(アルビノという可能性もありますが)白黒斑のオオカミに至ってはまったくあり得ません。只野真葛の収集した話と同じでしょう。宮城と福島は隣接していますし、野犬が多くいる同じ状況があったのかもしれません。
江戸時代の古文献にはオオカミとイヌを誤認しているケースは他にも数多くあります。
たとえば以前にも取り上げたことがありますが、加賀藩(加賀藩資料)で明和3年(1766年)ごろに起きたオオカミの襲撃事件前後の記録にはこうあります。
金沢市街西郊で年間約70頭のオオカミを同地域で捕獲(1766)
従来の狼より大型のものから地犬より小さいものまで混在(1766)
50~60匹のオオカミが犀川の近くに群れていた(1766)


また盛岡藩(盛岡藩家老席日記 雑書/御用人所日記 雑書)では天保11年(1840)、岩泉町から田野畑村、野田村にかけて70頭の狼が退治されたと記録されています。

どちらの地域も、オオカミが捕獲されたという範囲は、一つのナワバリ程度の狭い面積です。本物のオオカミであればその面積にはそれほど多数が生息していることはありえません。

2020年3月21日 (土)

江戸時代、東北地方のオオカミによる人身被害は何だったのか?

 

江戸時代の捕り物のエピソードから始めましょう。

 

・寛政6年(1794)田野畑村(現岩手県田野畑村)

6月5日の昼頃、沼袋甲子村に、病い狼が一匹出て、彦十郎の女房を食い殺した。そのうえ八匹いた馬に次々に傷を負わせ、子馬を一匹殺したので、大勢の人が騒いで馬を助けた、その夜肝煎が村をまわってみると、狼は平之丞の家に入って一夜を明かしていた。平之丞と使用人は天井の梁に上がって難を逃れていた。

夜明けに人を集め、鉄砲、槍などで平之丞の家を取り巻いたが撃ち外し、狼は5キロ北の巣合村(すごうむら)に走り、馬へ食いついた。次に助右ヱ門の家に飛び込もうとしたので、助右ヱ門は戸で狼の首を挟んだ。隣の家に叫んだが、人を集めかねているうち、狼は戸を押し外し、中にいた女房と七歳の子を命にさわるほど噛んだ。

ようやく人がかけつけると、狼は甲城へ走り雌牛に飛び掛かった。嘉兵衛と惣之丞が立ち向かっていくと、狼は惣之丞に一文字に飛び掛かってきた。惣之丞は山刀をふるって狼の鼻を切り落としたが、狼はまた立ち上がったので、嘉兵衛が槍で胸板を突き、ようやく殺した。

 

出典は遠藤公男「ニホンオオカミの最後 狼酒・狼狩り・狼祭りの発見」です。

この事件の流れを読んで、浮かんでくるイメージはどのようなものでしょうか。

私はオオカミの頭をつけた2本足の動物、人狼のようなイメージを思い浮かべました。

いや、本当のことをいえば、村にやってきた無頼漢が狼藉を働く時代小説の場面でした。映画「たそがれ清兵衛」で真田広之演じる井口清兵衛と田中泯演じる余吾善右衛門という侍の屋敷内での対決を彷彿とさせます。もちろん武士と百姓の違いはありますが、ね。

この物語に登場した動物が本物のオオカミだと、信じられますか?

 

 

  • 環境省が指摘した弘前藩の事件記録

 

2018年に開催された自民党の合同部会に提出された環境省の資料には、オオカミの導入がいかに適切でないかを強調する内容の一枚の表があります。

 

2019年7月 1日 (月)
2018年9月自民党鳥獣被害/捕獲/食肉利活用合同会議に環境省が提出した「オオカミの導入について」誤りを指摘する

http://nikkokekko.cocolog-nifty.com/wolf/2019/06/post-74c747.html?fbclid=IwAR0fe31KLmzpYwXoPhZpqAU8LsW2EmWCioPr2UuAEINa3CW3Sh177sDzpt8

 

それに私がダメ出ししたのがこのブログ記事ですが、その中で一つだけ赤ペンを入れていないところがあります。

右下の

 

(参考3)オオカミの人身事故として日本では、江戸時代の弘前藩において、オオカミによる死亡事故が多発している記録が残っている。

 

の項目です。

 

日本で、江戸時代の狼による咬傷事件として最も有名なのは、諏訪高島藩で元禄時代におきた事件です。栗栖健や平岩米吉、千葉徳爾などの著書に引用されているからです。なぜそれをはずして最近出てきた弘前藩の例を挙げるのでしょうか、ちょっと意味がわかりません(笑)

最新の研究成果だということでしょうね。こうした最近の論文などもよくよく読んでいくと、事件当事者当事動物の姿がおぼろげに浮かび上がってきます。



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