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2013年3月 2日 (土)

信州ではオオカミはシカを抑えられなかった(江戸時代の話)~ホントか?



ここに長野県のシカ生息数の歴史的な変遷をグラフ化した図があります。

Photo_12

出典は、長野県林業総合センターの方が書かれている、この報告です。

ニホンジカの食害による森林被害の実態と防除技術の開発

http://www.pref.nagano.lg.jp/xrinmu/ringyosen/01seika/01kankoubutsu/02kenkyuu/024/iku-24-1.pdf

この図は、「模式図」と名づけられているように、頭数の推定をしているわけではありません。この報告書だけでは、この推定「模式図」をどのような根拠で描いたのかは、不明ですが、文章から推察するに、獣害やシシ垣の建設年代といった古い記録を元にされているのではないかと思われます。諏訪大社の記録や藩の巻き狩りの記録等も見ることができたのでしょうか。

このグラフは時に、オオカミが日本にまだ存在していた時代に、オオカミがシカを抑制することができていたか否か、という疑問への答えとして使われることがあります。これほど増えていたのはオオカミが天敵として機能していなかったからだ、というわけです。

今までは、そうなのかなあ、という程度で、答えが見つかりませんでしたが、最近信州の江戸時代の状況を調べるにつけ、このグラフはむしろ、オオカミがいてシカを抑えてきたことを示しているのではないか、と考えるにいたりました。

(オオカミがいる地域での)捕食者がいる環境といない環境、それぞれの環境でシカの増減がはっきりし、対照する材料が蓄積されてきたためです。

捕食者のいる環境で、シカの頭数は、増減を繰り返しながら一定の範囲に収まってきます。

それはイエローストーンの実験が示しています。

http://nikkokekko.cocolog-nifty.com/wolf/2012/11/post-f5ad.html

逆に捕食者のいない環境でシカがどのような増加カーブを描くかは、現在の日本が実例を示しています。

いわゆるJカーブを描いて指数関数的に急激に増加していきます。

地域が限定されていれば、それがどこまでも上昇するわけではありません。シカの頭数が減少するときに起きるのは、エサを食べつくし大量に餓死するクラッシュです。

アメリカのロイヤル島の増減グラフではオオカミが登場する前に、大量餓死が起きています。

日本でもほぼ同じことが金華山島や洞爺湖の中の島で起きました。

 

 

 

Photo_13

 

つまり捕食者のいない環境では、シカの増加はJカーブを描いて上昇し、地域が限定されていればあるところで急激な減少を示します。

ではそうはならず、シカのJカーブの増加を抑制してきたのは、狩猟だったのでしょうか。

明治以降についてはそのとおりだと思います。増える毛皮需要に対応して乱獲が始まったのは、報告書にあるとおりだと思います。



しかし、江戸時代は違うように思います。生類憐れみで有名な徳川綱吉の時代(元禄)以前から、治安対策のため、農村の鉄砲は徹底的に管理されています。

「鉄砲を手放さなかった百姓たち」の著者武井弘一氏が調査した現群馬県にある三波川村(さんばがわむら:藤岡市に編入)の例では、猟師と考えられるのは村内に8人、猟師筒=銃の所持は幕府によって登録され、獣害が出たからといって簡単に発砲が許可されるわけではありません。

まずは威し筒で、音だけで撃退しろ、次には紙玉を使え、という指示が出ます。実弾を使えるのは、何度も許可申請をしてようやくのことです。許可なく山で発砲すれば、村民から通報が役所に届けられ、追及されます。

このように管理されている狩猟で、現在のような状態になったシカを抑制できたとは考えにくいことです。

信州には諏訪大社があり、八ヶ岳山麓では、御射山祭りという行事で年4回巻き狩りを行っていたということですし、他の藩の記録では巻き狩り好きな藩主の時代には、シカもだいぶ減ったようですので、その記録も調べなければはっきりしたことはわかりませんが、やはりそれだけでは山深いこの地域の全域でシカが減るとは思えません。

シカの頭数が、江戸時代を通じて、ある程度のレベルで推移していたのは、シカ自身が調節していたのでも、人間が狩猟で抑えていたのでもなく、山に捕食者がいたからだと、考えざるをえません。

また、江戸時代に獣害が多発していた、というのも、被害を受けた地点を現在の地図で見てみれば、山の中です。信州でも、上記の書籍にある三波川村も、今でさえ山村です。獣害の発生は、人間が野生動物の領域に侵入して畑を作ったからおきていることであって、必ずしも獣が増えていたとは限らないと、疑問に思います。



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