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2014年6月

2014年6月12日 (木)

ビーパル(BE-PAL)6月号日本の森にオオカミを放つべきなのか?

ビーパル6月号が、オオカミ再導入について取り上げていたので、さっそく購入して読んでみた。

Photo

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表紙には

「緊急提言 日本の森にオオカミを放つべきなのか?」

とあったので、どんな鋭い反対論が展開されるのかと期待して開いたところ、表紙にあるタイトルとはちょっとニュアンスの違う本文が展開されていたのだった。

本文のタイトルは 

「ほんとうの森の姿とは?生態系から欠落した「オオカミをめぐる意見」から考える」

である。

この食い違いはどこからくるのだろうか。ひょっとしたら、編集部が強気に「オオカミ再導入反対」を強調し、「緊急提言」しよう!と意気込んだのかもしれない。ところが書き手はなぜだか自信がなく、このようなタイトルになったのかもしれない、と邪推している。

な~んだ、がっかりだ、と思ったが、内容にもがっかりした。

この本文の筆者、鹿熊勤さんの

ほんとうの森の姿とは?

生態系から欠落したオオカミをめぐる意見から考える

を要約してみた。この記事は4つのパートに分けられ
 

森について

森は遷移するものだ・植物は環境に応じて次々に入れ替わり、100年もかけた静かな競合を勝ち抜いた大きな木が光を独占し、安定的な生態系、極相・原生林ができあがる。そこに人間が関わると植物たちの戦国時代のような競合が始まる。

人の手で遷移を止められた自然林が里山とみなされ、生物多様性が高い。遷移の途中にある自然林は、人の手が加わらなくなれば、樹種の競合が再開され、極相へと向かう。

一番の問題は植えっぱなしの人工林だ。

森が人をひきつけるのは「生命の気配」

 人が森に行きたくなる理由は、「生命の気配」への期待であろう。森は生物多様性が高い空間だ。教科書にあるような食物連鎖が今も繰り広げられている。大型哺乳類から小型哺乳類、爬虫類、鳥類、両生類や魚類、甲殻類、水生昆虫、土中の小動物、植物や菌類、バクテリアなどの無数の関係性は、食う食われるだけでない壮大な自律システムだ。だが現在の日本の森には重要なピースがいくつか欠けている。

獣害問題の発生について

野生動物、特にシカの激増は獣害として問題になっている。地域によっては森が裸地化しているところもある。かつて日本の森には、オオカミと人間の二種類の頂点捕食者がいた。農耕が始まって以来、獣害は絶えたことがないが、森の植生が変わるほどシカが増えるバランス異常はかつてないことだった。しかし、そもそも最初に植生を大きく変え、森のポテンシャルを低下させたのは人間だったのだ。

オオカミがいなくなって以来、シカのコントローラーとして機能していたのはレジャーハンターだった。もう一つのシカの増殖抑制要因は乱開発だった。しかし、地方の人口急減、耕作放棄地や放置人工林の増加で遷移が進み、シカが増える要素が高まる一方でハンターは森の中にも里にも足りない。

オオカミ再導入に対する反論

問題解決の切り札としてオオカミを復活させよという声があるが、生態系内の役割は認めざるを得ないが(筆者は)個人的には、実現するとしてもかなりの時間がかかるだろうと思っている。日本の森はどこも人の暮らしと背中合わせであり、第一の利害関係者はそうした住民たちである。その人たちのオオカミへの恐怖を拭い去るのは容易ではないし、再導入は社会に強いストレスを与えるに違いないからだ。トキやコウノトリの野生復帰とは訳が違う。生態学的なロマンチシズムで進めてはならない。

オオカミ導入より先に森に導入すべきは、「失ってしまったピースの大きさを、より多くの人が実感として理解することが大事ではないか。シカが引き起こしている問題の実態や、オオカミがいた時代の豊かな自然をリアルに振り返ることのできる、学びと反省のシステムだと思う。」

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