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2023年7月21日 (金)

キルギスのオオカミと畜産業の状況(2013)と日本のオオカミ再導入議論

ノルウェイのリンネル博士は、オオカミと人間の衝突の歴史を調べた2002、2021の「Fear of Wolf」でよく知られています。

その研究者が、「オオカミは人間の社会の変化に大きな影響を受ける」という観点で調査した論文を見つけました。牧畜と元社会主義体制という共通点のあるキルギスとマケドニアを比較しながら、社会主義体制から資本主義経済へ移行した国で、人々のオオカミへの意識がどのように変化したかを調べたものです。

 

The effect of rapid social changes during post-communist transition on perceptions of the human - wolf relationships in Macedonia and Kyrgyzstan

 

https://pastoralismjournal.springeropen.com/counter/pdf/10.1186/2041-7136-3-4.pdf

 

マケドニアに関しては「ヨーロッパのオオカミ事情」として日本への再導入の参考にするためメルマガでまとめましたので、ここではキルギスに絞ってその論文の内容を見ていきます。

 

  • キルギスの国情

中央アジアの真ん中に位置するキルギスは、中央アジアで2番目に貧しい国です。

現在のキルギスの主産業は農業および牧畜、鉱業であり、農業は主として輸出品目にもなっている綿花、タバコの栽培が活発に行われています。

マケドニアと比較すれば面積が広く、人口密度が低いのですが、これは地形的な条件と全体的な生産性の低さによるものです。

国土の70%以上が標高2000m以上の高度で、最高峰は7000m以上。総面積の47%が永久放牧地であり、羊の飼育に適しています。また国土の5%が森林であり、開けた地形です。

 

(キルギスの草原)

https://www.youtube.com/watch?v=JEmisLgX1kk&t=6s

 

オオカミは狩猟対象動物であり、狩猟期間や狩猟枠に制限はありません。おおまかな推定では、キルギスでは4000から6000頭のオオカミが生息しているとされています(Boitani 2003, Salvatori and Linnell 2005)。

 

  • 政治体制の移行

1876年にロシア帝国の一部となり、ロシア革命後はキルギス・ソビエト社会主義共和国としてソビエト連邦に組み込まれました。

ゴルバチョフによるソ連の民主化改革を受けて、1991年、モスクワからの独立を宣言し、民主政府を樹立し、国民国家としての主権を獲得しました。その経緯の中で、特に大きく影響を受けたのが遊牧民です。

 

  • 中央アジアにおけるオオカミと人間の関係

一般的にいえば、大型肉食獣の肉食性と広い生活圏の必要性から、古くから人間と空間や食料をめぐる競争が起こり、さまざまな経済的・社会的紛争が発生しています(Treves and Karanth 2003)。

ヒトとオオカミの間の最も一般的な対立は家畜の略奪であり、この対立により過去に大型肉食動物の数と分布が世界レベルで減少しました(Mech 1995, Breitenmoser 1998, Kaczensky 1999)。

 

もっとも、オオカミ害の経済的影響は、国レベルで見ると一般に低いようです。中央ヨーロッパにおける大型肉食獣の家畜への影響に関するレビューによると、ほとんどの地域で大型肉食獣に捕獲される家畜は1%未満であることが示されています(Kaczensky 1999)。

しかしキルギスのような貧しい国での経済的影響はどうなのでしょうか。以下が論文の概要です。

 

リンネル博士らはキルギスで2003年から2006年にかけて調査を行いました。調査は二ヶ所です。

(図1)

Photo_20230721102001

 

  • 人間とオオカミの関係に影響を与える移行過程

1.羊の飼育活動の全般的な崩壊

ソ連崩壊以前は主に国家に依存していた畜産・狩猟活動は、崩壊後に強い影響を受けました。羊の飼育は、この危機から最も影響を受けた農業活動です。1992年から2006年の間に、羊の飼育は3分の1にまで減少しています。

 

キルギスでは、市場経済への移行が極めて急激に進みました。移行前の土地はすべて国有地であり、羊の大半(77%)は国と集団農場が所有していました(Van Veen 1995)。移行過程当初は、高インフレの中で集団農場の負債を支払うために多くの羊の群れが売却されたり、不誠実な首長によって屠殺場に送られたり、私有化されたりしていました(Jacquesson 2004)。羊の頭数は 2004 年に最低に達し、その年から徐々に増加し始めました(FAOSTAT 2012)。

 

2.農村コミュニティーの軌跡

農村人口の動態にも変化がありました。ロシア革命当時、キルギスは主に遊牧民とロシア人入植者によって占拠されていました。1921年から1922年にかけて植民者の土地がキルギス人に返還された後、1925年から1932年にかけて集団化とコルホーズの設立が開始され、それに伴って遊牧民が定住するようになりました(Jacquesson 2004)。キルギスでは畜産業が経済の中心であったため、大規模な農村流出が起こりませんでした。全国的な農村人口の割合がやや減少しているとはいえ、農村人口増加率は現在までプラスで推移しています。

 

3.オオカミに対する狩猟圧力の変化

共産主義後の激動は、狩猟活動にも影響を及ぼしました。キルギスでは狩猟が肉や脂肪、毛皮を提供する経済活動の一環であったため、その影響が強く出た可能性が高いと見られています。

ソ連時代各コルホーズにはプロのハンターがおり、羊飼いもライフル銃を装備していました。ソビエト連邦の全体像を見ると、オオカミ狩りが国家レベルで高度に組織化され、補助金を得ていたことがわかります(Bibikov 1973, 1980, Bibikov et al.1983)。オオカミは有害動物とみなされ、罠にかけられ、巣穴で捕獲され、毒殺され、最終的には飛行機やヘリコプターから開けた場所で狩られることになりました。

 

このような集中的なオオカミ狩りを支える経済的・物流的手段は、ソビエト連邦の崩壊後、もはや利用できなくなりました。キルギスでは、ロシア人がキルギスから移住した結果、狩猟協会の会員数が1990年の25,900人から2002年には8,617人に激減しています。この減少は、未登録の狩猟者による密猟の増加で補われる可能性もありますが、同国における小火器(合法・違法)の保有は極めて少ないようです(MacFarlane et al.2004)。その結果、他の旧ソ連諸国(例:ベラルーシ、参照:Sidorovich et al.2003)と同様、キルギス独立後にオオカミに対する狩猟圧力が本当に減少した可能性が高いといわれています。

 

4.オオカミの食性

キルギスにおけるオオカミの食性に関するデータが乏しいため、家畜の割合が高くなくても(Vyrypajev and Vorobjev 1983によれば、中央天山で約15%)、家畜数の減少がオオカミ集団に影響を及ぼした可能性があります。キルギスのオオカミの主な獲物である野生の偶蹄類やマーモット(Marmota baibacina, M. caudate, M. menzbieri)に対する密猟の程度とその影響はまだ不明です。ユキヒョウ(Uncia uncia)のような非常に価値の高い種や、おそらく肉や貴重なトロフィーを提供できるアルガリヒツジ(Ovis ammon)やアイベックス(Capra ibex)は確実に増加しています(Koshkarev 1994)。

キルギスでは、腐敗により賞金が支払われないことがあるため、モチベーションが上がらないにもかかわらず、知識のあるハンターによって活発にオオカミ猟が行われています。

 

  • オオカミの位置づけの再定義

社会経済的、環境的な背景の変化による急激な移行期を経て、家畜生産者とオオカミの関係にはそれぞれ異なる影響がありました。キルギスでは、人間の多くは農村に住み、家畜の飼育が主要な活動のひとつであり、オオカミは家畜生産者にとって主要な脅威のひとつと考えられています。。

 

キルギスの村人たちの資本に対する主な脅威の一つとしてのオオカミがいます。キルギスはソビエト連邦の崩壊によって失われた経済状況や社会保障やコルホーズやソホーズの従業員としての雇用保障がなくなったことについて、多くの人々が不満でした(移行過程におけるキルギスの世帯の経済分析についてはAnderson and Pomfret 2000を参照のこと)。

 

しかし、こうした変化にもかかわらず、畜産は依然としてキルギスの主要な経済活動の一つであり、2004年の農業総生産の44%を占めています(世界銀行2005)。また、社会保障が失われ、年金や給料が非常に低くなった結果、家畜はより重要な資本となり、ほとんどの村人が羊を数頭、牛を1、2頭、時には馬を数頭持っています。牛は主に家族で使うために搾乳し、雌馬はキルギス社会で珍重されている発酵乳(kymyz)を生産するために搾乳します。その他の動物は、重要な支出(学費や入院費など)が発生したときに売却できるよう、主に資本として飼われています。このような状況下で、村人たちは常に群れのサイズを大きくしようとします。それは彼らの資本を増やすことを意味するからです。その結果、オオカミが家畜を襲うことは、収入をもたらす継続的な商業活動だけでなく、村人の資本をも脅かすことになりました。したがってオオカミは家畜の飼育活動にとって主要な脅威のひとつと考えられているようです。家畜の群れは、いまや農村の人々にとって本当の意味での資本なのです。(注:欧米諸国にある被害補償はキルギスにはないようです)

 

伝統的にはシャーマニズムを起源とする彼らの世界観では、人間界と動物界の間に強い境界線はなく、オオカミは知的で意識が高く、腐肉を除去したり病気の家畜を殺したりする役に立つ動物とさえ考えられてきました。(Lescureux 2006, 2007)。しかし現在、オオカミが管理されなくなったことで人間対オオカミ関係のバランスが崩れ、オオカミはもはや「敬意を払うべき立派な敵」ではなく、牧民の資本増加を妨げ、その国の牧畜と経済の将来を脅かす「侵略者」として認識されるようになりました。

(以上、論文要約)

 

■キルギスのオオカミと日本のオオカミ再導入の対比

以上が2013年発表の論文の要約です。キルギスではこうした経済状況と畜産業の状況、オオカミ管理の状況下で、オオカミによる家畜被害が発生し、憎まれることになりました。

さてこのキルギスのオオカミ事情は、日本のオオカミ再導入の参考になるでしょうか。

家畜の被害発生があることがSNSのごく一部で話題にもなっていますが、日本の畜産業、特にヒツジ飼育と比較する必要があるでしょうか。

 

 

イエローストーンの再導入で私たちは

【オオカミとシカの関係】

そして

【オオカミと生態系の関係】

を見ています。オオカミと人との直接的な対峙関係を見ているわけではありません。

しかし有数の国立公園であり、数百万人の観光客が毎年訪れる場所ですから、オオカミに対する先進国の人々の認識をみることはできますし、重要な情報でもあります。

 

一方、キルギスでは、オオカミと畜産業の関係を見ることができます。それは経済とオオカミ認識の関係でもあります。オオカミによる畜産被害がその地域の経済を損ない、オオカミを害獣として憎む結果をもたらしているという人間とオオカミの対峙関係が浮かび上がってきます。

 

しかしこれを日本と比較対象とするには、あまりにも国情が違いすぎると思われます。

国の経済規模は、畜産業の位置づけ、特に羊飼育の位置づけの日本との違いは際立っています。

また、国土は草原に覆われ、野生動物の量的な情報はなく、しばしばオオカミの被害と誤認される野犬に関する情報はなく、被害の認定は科学的ではありませんし、同時にあるべき飼育環境の改善指導も被害補償の体制もないようです。

 

日本がオオカミを必要とする事情は、野生動物のバランスが崩れ、有蹄類が異常に増えすぎている生態学的状況を改善する必要があると考えるところにあります。必要とする情報は、オオカミの存在が生態系のバランスを改善できるかどうか、それを科学的に説明できるかどうか、という側面と、オオカミの存在を農業、林業、畜産業の方たちと都市住民が受け入れられるかどうかという側面が主な観点です。

 

畜産業をさらに細分化すれば、鶏も豚もほぼ畜舎での飼育、牛も大半は畜舎であり、放牧も粗放な放牧はまったくありえません。羊の飼育に至っては全国で飼育総頭数は2017年で918軒の農家による17,821頭(畜産技術協会めん羊統計)です。平均飼育頭数は20頭弱、数百頭を飼育する農家は数えるほどという規模です。飼育環境は丁寧で緻密だと想像できます。

キルギスで問題となっている羊のオオカミ被害が日本でも起こりうるかというと、それはありえないと言わざるをえません。

 

キルギスの大草原で粗放に飼育されている羊がオオカミに食べられ、農民はオオカミを憎んでいることは理解できますが、それは背景となる経済が拡大しない状況の下、畜産業の被害も補償されない国情が大きく影響しているはずです。

 

ここのオオカミ情報は日本の再導入の是非を判断する参考にはならないと考えられます。

 

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