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アメリカ・イエローストーンレポート

2015年1月18日 (日)

D.Mech デイビッド・ミッチ オオカミ博士 Dr.Wolf

日本オオカミ協会がミッチ博士を招聘し、6月にシンポジウムを開くことになった。

その詳細はもうすぐ公開されるが、その前に、ミッチ博士のことを紹介しておきたい。

デイビッド・ミッチ博士は、オオカミ研究の世界では、最も長く、最も深くオオカミを知る、第一人者として誰もが認めている。

http://www.davemech.com/index.html

http://www.davemech.org/

このサイトは、まるごとミッチ博士のものだ。(名前の読み方をMeechと書いているが、本人に聞いたらミッチでオーケーと言っていたらしいので、ミッチとする)

 現在も、米国地理学研究所上席研究員、国際自然保護連合(IUCN)オオカミ専門家会議議長、ミネソタ大学生物学科講師、インターナショナルウルフセンター理事である。

 彼はオオカミと獲物動物との関係を50年以上もミネソタ州や世界中で研究してきた。一九七〇年の彼の本『オオカミ』、そしてイタリア人研究者ボイターニとの共著「Wolves: Behavior, Ecology, and Conservation 」

Wolf_2

は、オオカミの生物学書の決定版だ。彼はアラスカ州のデナリ公園(アドルフ・ムーリーがマッキンリー山のオオカミを研究した)で、そしてカナダ北極圏のエルズミア島でも、オオカミの調査を始めた。彼はナショナルジオグラフィック協会のテレビの特集番組に登場し、名誉ある世界自然保護連合(IUCN)のオオカミ専門家会議の座長をつとめている。

2013年11月24日 (日)

エド・バングス語録「オオカミは面白い!」

1988年アメリカ魚類野生生物局で、イエローストーン公園へのオオカミ復活プログラムの仕事を始めたエド・バングスは、誰に対しても「オオカミは面白い!」と言い続けた。

「どうしてオオカミを復活させることを謝らなきゃならないんだ?」

「野生生物局は、エルクやビッグホーンシープを西部のもといた地域に復活させることに大きなプライドをもっているじゃないか。どうしてオオカミ復活にはプライドがもてないんだ?」

「オオカミは注目に値する魅力的な動物だよ」

「オオカミは人間を襲わない」

「オオカミは土地利用には関係がない」

「オオカミは経済を侵害しない」

「家畜を食べるかもしれないが、ほんのちょっとだ」

「そのうえオオカミは魅力的だ。多くの人たちがオオカミを好きになるし、野生のシンボルと考えるようになる」

オオカミは面白い!

「WOLF WARS」 HANK FISCER著より

2013年4月18日 (木)

イエローストーンではオオカミ根絶後、エルクが激増した

イエローストーン国立公園のオオカミと、オオカミ根絶後の状況を、アメリカのWikipedeiaで見てみました。一部抜粋要約してます。

イエローストーンでは、1926年オオカミ絶滅後、数年でエルクが増え始め公園内の樹木に影響が出始めました。1929年に生態学者が訪れ、既にひどい状態だと警告を発しています。


下記の文章で私が注目したのは、

①オオカミがいなくなって数年後には森林被害が顕著になった。

②エルクの駆除を30年間継続して行ったが、はかばかしい結果は得られなかった。

③ハンターは、エルクの密度が低いと文句を言っている。

④駆除を一旦やめると、急激なエルク増加が待っている。

イエローストーンオオカミの歴史は、根絶、不在、イエローストーンへのハイイロオオカミの再導入、そしていかに再導入が、科学者や政治家、公園管理者の議論と驚きであったかを記録にとどめている。

1872年、イエローストーン国立公園が設立されたときはまだ、公園内でも野生動物は法的に保護された存在ではなかった。公園の初期に、行政官、密猟者、旅行者は、自由に獲物のターゲットや肉食獣を狩ることができた。なかでもハイイロオオカミは、一般にやっかいな肉食獣であり、北米地域で根絶されようとしていたため、攻撃されやすく、理不尽に殺害されていた。

1883年1月、内務長官は公園内での狩猟を禁じる規制を発したが、それはオオカミ、コヨーテ、クマ、マウンテンライオンや他の小さな肉食獣には適用されなかった。

1886年8月20日、陸軍が公園管理をするようになって後すぐに、最初の管理官モーゼス・ハリス大尉は公的な狩猟を禁止し、肉食獣の管理は公園に戻した。

1885年、魚類野生生物局の前身となった部署が設置され合衆国の生態調査を担当することになった。

1907年、西部畜産業の政治的圧力により、この部署は、家畜被害コントロールと呼ばれるようになるプログラムを始めることになった。この肉食獣管理プログラムは、1907年に39の国立森林公園で、1800頭のオオカミ、23000頭のコヨーテを駆除した。

1916年、国立公園サービスが設置され、前述の公園、遺跡、禁猟区域の利用に有害になるかもしれない動物や植物の破壊に対して内務長官の判断により法律の制定が可能になった。

国立公園局は公園内の肉食獣コントロールプログラムは1933年まで継続したが、実質は1926年までに、イエローストーン国立公園からはハイイロオオカミの群れは根絶された。しかし、1927年から1977年までの期間に公園内でオオカミが目撃された例が数百あった。

オオカミがいなくなるとエルクが増えた。次の数年間に、イエローストーン国立公園の状態は、急激に悪化した。1929年と1933年にイエローストーンを訪れた科学者たちは、「この地域は、初めてみたときにひどい状態だった。そしてその後さらに悪化している」と報告している。このときまでに多数の生態学者が土壌が侵食され、植物が絶滅することを憂慮していた。エルクは増え続け、アスペンやポプラのような落葉樹はエルクの食害の影響を受けていた。公園局は、エルクのワナ猟や駆除を始めたが、効果は上がらなかった。こうした駆除は30年以上も続けられた。こうした方法は、景観を悪化させない役にはたったが、状態を改善することはできなかった。

時々、人々はエルクの頭数を調整するためにオオカミをイエローストーンに戻すアイデアを口にするようになった。

しかし公園管理者は、特にオオカミを公園から駆逐することに成功した後には、オオカミを戻すことに熱心ではなく、エルクの駆除を続けた。1960年代も後半になって、地元のハンターが地元下院議員に対して、エルクが少なすぎるとクレームをつけるようになり、議員はイエローストーンへの予算を止めるよう脅しをかけた。その対応としてエルク駆除は中止になった。そしてエルクの頭数は指数関数的に増加した。エルクの頭数の急激な増加により、大地の状態は再び急激に悪化した。景観の破壊は他の多くの動物にも影響を及ぼした。オオカミが絶滅したことで、コヨーテの頭数は劇的に増加した。そしてその影響はプロングホーンやアンテロープの極度の頭数減少になってあらわれた。

アメリカでは、趣味のハンターは、獲物の生息密度が高いことを喜び、オオカミは自分たちの獲物を減らしてしまう「敵」だと見なされています。