絵でわかる生態系のしくみ 鷲谷いずみ著
http://www.kspub.co.jp/book/detail/1547582.html
出版社の紹介文にもあるとおり、生態学の第一人者、鷲谷いずみ先生の著書ですが、疑問に思うことがあり取り上げさせていただきます。
この本は生態学の初心者向け解説を目的にし、生態学用語を、一つ一つ見開き2pを使い、解説とイラストで説明しています。その用語の一つとして「キーストーン種」を取り上げています。そのキーストーン種に関しての疑問です。
以下に鷲谷先生の文章を引用します。
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ある生物種が一種だけ、侵入あるいは絶滅したために、群集が大きく変わってしまうことがよくあります。陸上生態系では、大量に植物を食べる消費者、すなわち体の比較的大きい草食動物が、そのような役割を果たしていることが知られています。
たとえば、多くに島で、人間が持ち込んだウサギやヤギが植生を大きく変えてしまう例が認められています。森林が失われて、まばらな草原になってしまうのです。一部でも森林が残されているときにフェンスを張って、草食動物が入れない区画をつくっておくと、そこでは樹木の芽生えが育ち、再び森林への遷移が進み始めます。
それまでその地域に見られなかった樹木を植林することが、生態系を大きく変えてしまう例は、ダーウィンが自らの進化論を記した著書『種の起源』の中でも紹介されています。親戚の所有地の貧栄養なヒース草原に、何エーカーかにわたってトウヒを植林したら、植生が大きく変化し、昆虫相が変わり、鳥の種類が増えたという例です。
海の生態系では、海獣の役割が注目されています。ウニを大量に食べ、海藻のケルプにくるまって眠るラッコは、ケルプの海中林にとって、なくてはならない動物です。乱獲でラッコがいなくなり、ケルプを食べるウニが爆発的に増えて、海中林が破壊されてしまった例も知られています。
キーストーン種は、その生態系における生物間相互作用のネットワークにおいて、扇の「要」、あるいは西洋建築のアーチにおけるキーストーン(要石)ともいうべき役割を果たしている種です。その種の侵入や喪失により、生態系の性質や動態が大きく変わってしまうため、生態系の保全の場面では注目される種であるといえます。
ダムをつくることで川をせき止め、一帯を湿地に変えるビーバーは、物理的な基盤条件の大きな変更によって、生態系全体を異なるシステムへと誘導します。そのような種は、エコシステムエンジニアと呼ばれています。
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説明のために描かれているイラストは、ウサギです。ウサギと草原を描いて、「ウサギが持ち込まれた生態系は『まばらな草原に変化』」、と説明し、「ウサギがいない生態系=樹林」では、「ウサギが『キーストーン種』になっているんだね」とコメントを入れています。
「キーストーン(要石)」の言葉の説明にはアーチ橋の絵をもってきます。「アーチ橋のようにキーストーン種は生態系における生物間相互作用のネットワークの扇の『要』なのね」と案内役のカエルに言わせています。
キーストーン種の例として取り上げているのは、陸上生態系では「ウサギ」や「ヤギ」で、「大量に植物を食べる消費者、すなわち体の比較的大きい草食動物が、そのような役割を果たしている」と書かれています。これでは陸上生態系での「キーストーン種」は大型の草食動物だけであるように読めます。
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前にも生態学事典の「キーストーン種」の説明を引用しましたが、
http://nikkokekko.cocolog-nifty.com/wolf/2012/11/post-eeb8.html
「生態系における食物網の最上部に位置し、他の種の存在に大きな影響力をもつ種を「キーストン種」とよんだのが(Paine、1969)、生態系におけるこの語の使われはじめである。」
となっています。つまり肉食の上位消費者のことを指すのが使われ始めです。
その後定義は拡張され、
「キーストン種であるかないかは、食物網内の位置にかかわらず、系内の他の種に与える影響の程度により決まるとされる。」
とありますので、草食動物がキーストーン種と呼ばれることを否定するものではありませんが、「陸上生態系においては」との前提で、草食動物だけしか挙げず、食物網内の肉食の上位消費者を無視されているのは、片手落ち、初学者の理解を妨げるものではないでしょうか。
ちなみに図書館に並んでいる他の生態学の教科書的なものも確認してみましたが、どれも生態学事典の説明を踏まえたものでした。
また、鷲谷先生は、ダーウィンの親戚が植林したというトウヒの例がお好きで、よく取り上げられますが、そのトウヒの植林によって生物相が変わったという例のようにキーストーン概念を植物に拡張した例は、他にあるのでしょうか?鷲谷先生のオリジナルでしょうか?
これも本来の用語理解を妨げるものだと思います。
先生が取り上げたウサギの例でいえば、ウサギを抑える肉食獣の不在が、ウサギの爆発的な増加を可能にした原因であり、その不在の上位消費者こそ本来「少数でありながら生態系全体に影響を及ぼす」キーストーンという存在ではないでしょうか。
アーチ橋のキーストーンは、たった一個で全体の安定を支えている重要な位置にあります。食物網内で役割を持つ、そのような肉食獣の例を取り上げない解説は、理解できません。
「海の生態系」の例として取り上げられているラッコは、よく知られた最初の事例ですので、これで肉食獣の存在を説明されているとお考えと思いますが、「陸上生態系」「海の生態系」と分けられている以上、その二つは別物と受け取られます。
つまり「陸上生態系」のキーストーン種は、「ウサギのような草食動物」と「トウヒのような植物」であり、「海の生態系」におけるキーストーン種は「ラッコのような小型肉食獣」であると、読む側は受け取ります。
「海の生態系」におけるラッコとウニの関係を、ウサギにあてはめて考えれば、海藻を食べるウニは、陸上では植物を食べるウサギに当ります。ラッコが海のキーストーン種であるなら、陸上ではウサギを捕食する肉食獣がキーストーンでなければならないのではありませんか。
「キーストーン種」と題したテーマなのですから、ビーバーのような脇役を解説する字数で、本来のキーストーン理解を助ける例を取り上げるべきではないでしょうか。
鷲谷先生は、「オオカミ再導入」はきっぱり否定されていると聞き及びます。
オオカミに言及することを避けるために、このような訳のわからない解説になったのではないかと勘ぐってしまいます。
「キーストーン種」という用語自体、依然としてあいまいであり、意味の拡張を続けている用語なのは承知の上で申し上げますが、鷲谷先生の独自の解釈で語義を拡張され、初学者向けのご著書で展開されるなら、もう少し学会の中で議論されてからにしていただけませんか。
読む側は、混乱するばかりです。
【追記】
もう一冊見つけました。鷲谷先生と同じように、ウサギをキーストーンとしている教科書、と思ったら著者は鷲谷先生でした。
保全生態学入門 著者:鷲谷いずみ 矢原徹一 文一総合出版
この本のコラムに、キーストーン種の用語解説として、鷲谷先生がキーストーンと考えるウサギの事例がやや詳しく説明されています。
1950年代に南イングランドのシルウッドパークのイングリッシュオークの林に、食肉目的でウサギが放されました。その後(捕食者のいない環境で:筆者注)増えたウサギがオークの林を食べつくし、まばらな草原に変わってしまいましが、1970年代のある年、ウサギを死なせるウィルスを人為的に投入し、ウサギが激減したのです。ウサギがいなくなった後、カケスが種を運んでくるようになり、オークが復活したところから、この林の景観を変えていたのがウサギだったことがわかった、というエピソードです。原典は、Dobson & Crawley(1994)。
鷲谷説の根拠となる文献はこれでしょうか。この原典に、このウサギがキーストーン種であると書かれているかどうかは、未確認です。
その前後の本文中にもキーストーン種の意味が説明されています。キーストーン種とは、外来種である草食動物であり、本来いなかった場所に入り込むことによって景観に影響を与えてしまうような動物だそうです。
キーストーン種の索引で開いたページには、このような意味の解説しかありませんでした。肉食獣の話は一言も登場しません。本当にこれで正しいでしょうか?
肉食獣は鷲谷先生の目には、入っていないようです。
これでは、キーストーン種であるウサギを捕食する可能性のあるオオカミの再導入は、日本にいてはならない外来の肉食獣の導入、としか映らないかもしれません。
でも、ペイン博士が発見した現象を素直に読めば、キーストーン種はウサギではなく、ウサギを捕食する肉食獣ということになると思うのですが、いかがでしょうか。