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獣害対策

2013年3月30日 (土)

攻めるための猪垣~江戸時代の獣害対策

現代のシカやイノシシの獣害への対策には、重厚な猪垣は作られていない。ステンレスかアルミのポールを立てて網を張る程度のものだったり、あるいはもっと簡便に、取り外しが可能なタイプだったりするが、江戸時代には、土を盛り、堀を作って何メートルもの高さにしたものが各地に作られていた。

今の感覚から見れば、攻め寄せてくる獣を防ぐためのものに見えるが、江戸時代のしし垣は、逆に「攻めるため」のものだったのではないだろうか。

しし垣

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%97%E5%9E%A3

し垣とは、害獣の進入を防ぐ目的で農地との間に石や土などで築いた垣のこと。西日本に多く見られ、イノシシが少ない北海道東北地方のものは知られていない。「猪垣」「鹿垣」「猪鹿垣」などと表記する。

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現代のしし垣は、明らかに獣が攻めてくることに対する防御の壁である。

江戸時代のしし垣は、たとえば、「猪の文化史 歴史編」(新津健著)で紹介されているしし垣の例を見てみると、山梨県におけるしし垣をいくつか挙げている。村の明細帳に記録されている支出を調べると、8つのシシ垣の例が探し出せる。

そのうちの一つは、巨摩矢細工村にある。矢細工村とは富士川右岸の富士見山の麓というから、おそらく今の身延町である。その村の享保20年の明細帳に、しし垣の修繕費用に関する記録がある。

この頃のしし垣は、今と同じように、獣が攻め寄せてきたことへの防御的な対策のためのしし垣だろうか。

享保20年とは、前の記事でも触れたが、日本中の人口増加、耕地増加の時代にあたる。

その頃既に修繕のための費用が計上されていることから、少なくともその数年前の完成であろう。10数年さかのぼるとしても、間違いではなさそうだ。その頃は耕地拡大の、現代でいえば高度成長期である。

ということは、この矢細工村のしし垣は、村の住民が、耕地を谷に沿って広げるために、橋頭堡として張り巡らせ、野生動物を排除した、「攻めのしし垣」ではなかろうか。

しし垣の残る場所はどこでも山間地であり、古い記録に見る事例を見れば、そこでは食糧自給のできるほど広い耕地ではない例が多い。そんな山の中に畑を作れば、ケモノが作物を食べに来ることは言うまでもない。当たり前だ。

たとえばイエローストーン国立公園に畑を作ったら、シカは人間を避けて、畑に寄ってこないだろうか。

Photo

                   (写真)イエローストーン国立公園(米)ラマーバレー付近

こんなところで畑を作れば、畑は獣害を受けて当然なのである。

私は、今のところ、江戸時代のしし垣は、「江戸時代も獣害がひどく、防御が必要だった」証拠ではなく、「畑を広げていく前線に獣を防ぐバリアを張った」のだ、と解釈している。