荒俣宏信州でオオカミの話を聞く(トランヴェール)~抜けている生物学の視点
もう2年も前になりますが、新幹線の座席に挟まっている雑誌「トランヴェール」(2018年7月号)に荒俣宏先生が信州で訪ねて珍しいものを訪ね歩く企画記事が掲載されていました。ちょうどその時期に新幹線移動の機会があり、持ち帰ってきたものです。
記事中、荒俣先生は信州を訪ねて「ニホンオオカミ」の伝承について博物館員から聞き、
「実際の記録を見るとやっぱり危険な存在なんだ」おばあちゃんから聞き取るのは「オオカミの子がかわいかったよね、といった、いわば例外的なエピソード。」「歴史学で扱う文献記録は、実際の出来事、事件についてのものだから、襲われた話が記録されがちじゃないか」
と解説をされています。
民俗学と歴史学のアプローチの仕方は確かに違うようです。
「実際の記録を見るとやっぱり危険な存在なんだ」おばあちゃんから聞き取るのは「オオカミの子がかわいかったよね、といった、いわば例外的なエピソード。」「歴史学で扱う文献記録は、実際の出来事、事件についてのものだから、襲われた話が記録されがちじゃないか」
と解説をされています。
民俗学と歴史学のアプローチの仕方は確かに違うようです。
この記事を読んだ私は、荒俣先生に疑問をぶつけたいと思いながら、連絡先がわからずそのままになっていました。資料を整理していたらたまたま出てきたので、読み返したところです。
このブログのつぶやきが荒俣先生に届くかどうか、まあまったく届かないと思いますが、書いてみます。
荒俣先生、「オオカミ」という動物についての記録、文献なのだから「生物学」の視点も必要ではないですか?歴史学も民俗学も生物学の視点がまったく欠けていますよ。