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ハンター・狩猟

2015年2月 5日 (木)

オオカミと人間の狩猟、違いは何か

オオカミと人間の狩猟、違いは何か

オオカミがいない日本、頂点捕食者の役割は人間がやらなきゃ、という人は多いが、、、、

人間の狩猟とオオカミの狩、何が違うのだろうか。

オオカミには増えすぎた鹿を減らせないという人もいる。

人間は増えすぎた鹿を減らせるのだろうか。

それぞれの狩の特徴に答えがある。

まずオオカミはシカを捕食する。これが大前提である。オオカミとシカは共進化してきた。世界中のどこでもオオカミはシカを追いかけ、シカはオオカミから逃げるために能力を磨いてきた動物だ。

オオカミの狩は、弱い獲物を捕食する。幼獣、老齢個体、怪我や病気の個体。

年齢や雌雄で分類すると、時期により違いがある。シカに子どもが生まれる春から秋にかけては、幼獣を捕食する。冬に近くなってくると幼獣も体が大きくなり、強く賢くなって容易に捕食できなくなるため、捕食の確率が低下する。代わりに捕食されるのは弱ったオスだ。まず老齢個体が対象になり、次に繁殖で体力を使い果たした個体が、冬の雪で行動を鈍らせたときに狙われる。成獣のメスは年間通じて捕食の確率は一定である。

オオカミが増えすぎたシカを減らせない例として挙げられるのは、ロイヤル島のムースの例である。体重800キロから1トンにもなる世界最大のシカであるムースは、健康であれば、さすがのオオカミにもそう簡単には捕食することができない。だからといってムースが増えすぎたままオオカミは何もできなかったかというとそうではない。

ロイヤル島でムースが増えすぎたまま数年がたったある冬、大雪が降った。肩高2m近いムースも行動を鈍らせるような大雪だった。その年、オオカミはチャンスを逃さずムースを大量に捕食した。ミッチ博士は、「オオカミは殺される理由のあるものだけを殺す」と総括している。増えすぎて減らせないように見えても、気象条件や他の環境要因が味方したときを逃さない。ムースのような大型のシカでさえ減らす力をもっている。

そして、狩は、彼らが生きていくための「食べる」行為であり、フルタイムジョブだから、休みはない。

この狩の特徴は、以下のような結果をもたらす

幼獣を捕食することで頭数を減らす

毎日追い掛け回すため、シカの生息場所を分散させる

老齢、怪我、病気、特に伝染病の個体を捕食することで、シカの群れを健全に保つ

一方、人間の狩猟の特徴はなんだろうか。

アメリカやカナダでは人間の狩猟によるシカの内訳を分析している。狩猟で捕獲するシカの年齢分布、雌雄分布は、個体群の構成比率とほぼ同じである。つまり人間の狩猟者は、シカを選択的に捕獲することはできないことになる。遭遇する偶然に左右されるからだ。多少の選択をするとしたら、幼獣は撃てない、大きな角をもつオスを狙いたがる、ということだろう。

また、人間の狩猟には行動の制約がある。人間よりシカの行動範囲は広い。狩猟者が行けない場所でもシカは草を食んでいる。しかも、猟期は主に冬に限定される。シカもイノシシも子どもは成獣になり、素早く、強く、賢くなる時期だ。最も手ごわい時期に対峙しなければならない。狩猟者の出動も毎日というわけにはいかない。パートタイムジョブの狩猟者なら、猟期の土日が活動日である。また有害駆除、管理捕獲の獲物の大半は食べるためでさえない。オオカミにとっては大雪の冬はチャンスだが、人間の狩猟者にとってはそれどころではない。したがって人間はシカの弱点を衝けない。

だから人間がシカの頭数をコントロールするのは大変だ。過去の歴史で人間がシカを減らしてきたのは、本当にオオカミと同じように常にシカを捕食していた時代(それがあったのかどうかわからないが)か、欲に駈られてやたらめったらと獲りまくった近代(16~19世紀)の話だ。そのどちらもない現代、シカを人間が減らすことは至難の業である。

アメリカでオオカミの再導入復活、自然復活に反対し、狩猟対象動物に戻せと主張してきた大きな勢力の一つは、狩猟者(スポーツハンター)だ。その狩猟者のオオカミ反対の理由は、「オオカミは俺たちの獲物を減らしてしまう。おかげでハンティングの割り当てが減らされるはめになる。オオカミが悪いのだ!」ということなのだ。スポーツハンターにとって、獲物の密度は高いほどいいからだ。

アメリカの狩猟者団体が、「オオカミはシカを減らす」と言ってくれている。

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2013年4月27日 (土)

「狩猟の文化」ドイツでもやはり山崩れの被害多発・交通事故も多発



「狩猟の文化~ドイツ語圏を中心として」(野島利彰著)春風社2010

から、再び。

ドイツでは、前回書いたように、多数の狩猟者がいて、多数のシカ類を捕獲している。

年間捕獲頭数2005年度

アカシカ 62,902頭

ダマジカ 52,186頭

ニホンジカ 1,194頭

ノロジカ 1,077,441頭

日本の狩猟と違うのは、ドイツでは猟区の所有権がそのまま狩猟の権利として、その猟区の所有者にあることだ。猟区の所有者つまり狩猟家はその猟区を保全する義務が課せられる。猟区を持たない狩猟者は基本的にはどこでも狩猟をすることはできない。そういった意味で、ドイツでは狩猟は資産家や、大規模土地所有者の特権である。

「猟区の保全」には、狩猟動物を適度に増やし、かつ適度に間引きして群れを健全に保つことも含まれる。狩猟家が、狩猟家自身の手で狩猟動物を保護し、給餌して増やしてもいる。シカやイノシシは、健康で、色艶もよく、立派な角を持っていなければならない。獲物を健全な群にすることは、その猟区の所有者の義務になっている。

(こうした猟区の管理は、著者によれば家畜を飼育し、食肉にすることとほぼ重なる行為であるため、農家や畜産家と同じ意味で、「狩猟家」と呼んでいる。)


こうした管理を続けて、多数のシカ類を獲っているにもかかわらず、最近問題になっているのが、シカの増えすぎによる、森林や山の被害だ。


「(1980年代に山岳林崩壊がおきた)当時ドイツでは森林枯死が進行していた。この被害がとくにアルプスを中心とする山岳林でひどく、一部の地域では樹木が全滅したため、落石、山崩れ、冬期にはなだれの危険が出ているほどであった。林野庁は大気汚染に弱い針葉樹の純林から、広葉樹の混じった混交林に転換するように指導し、また実施していた。しかし、この施策の円滑な実施を狩猟動物が妨げていた。アルプスに近い森林地域は同時にアカシカの生息地域であり、枝角を求める狩猟家にとって、重要な狩猟区である。このアカシカやノロジカが樹皮をかじり、芽や葉を食い、その結果、樹木の生長を阻害し、枯死させた。」

 

ドイツアルプスは、おそらく天城山と同じ状態だ。

また、ドイツでも動物と自動車の事故が多発している。

ドイツ自動車連盟ADACの報告では、
1990年に、事故の件数は35万件、物的損害額は4億マルクに達している。

 

人的損害は、負傷3000名、死者50名である。



ドイツのアウトバーンは、日本の高速道路よりもシカが出入りしやすいのかもしれない。

1956年にハンブルク=ハノーヴァー間のアウトバーンが開通したとき、数週間で400頭のノロジカが轢かれた。森林を伐採して道路建設を進めれば、日光が差し込んで柔らかい草が生え、草をシカが食べるために通ってくる。開通後もそのままの習慣で路肩の草を食べていたのだろう。

こうした動物事故の対策の一つが、動物が渡る橋だ。フォルクスワーゲンがCSRの一環として援助していると紹介されていたうちの一つがこのことだった。

(ちなみにドイツ国内で行われているもう一つの野生動物保護の支援が「ウェルカムウルフプロジェクト」)

http://nikkokekko.cocolog-nifty.com/wolf/2012/09/post-2153.html

ドイツのこのような状態を見れば、狩猟に関する制度の違いはあって一概には言えないが、狩猟による頭数管理がきちんと働けば、なんとかなる、というのは無理がある、と思う。

2013年4月22日 (月)

「狩猟の文化」ドイツの狩猟産業は赤字

「狩猟の文化~ドイツ語圏を中心として」(野島利彰著)春風社2010



この本は偶然図書館で見つけたものだが、著者がドイツ留学で研究したドイツの狩猟文化について、歴史と現在を書かれた貴重な労作である。


この本から受ける示唆は数々あるが、まず最初に挙げるとすれば、「ドイツの狩猟経済は赤字である」ということだ。

赤字というのは、狩猟家全体として、食肉としての収入に対して、支出が大幅に超過している、ということだ。

具体的にいうと、食肉としての収入が1億8250万ユーロ(1ユーロ130円として、237億円相当)に対して、全体の狩猟のための支出は年間7億5470万ユーロ(約981億円)。


それには狩猟家が使う時間は算入していない。

また、健全な動物を維持し、動物数を制御、猟区の生物多様性維持、絶滅危惧種の維持等の自然保護活動ともいうべき内容も算入されていない。



ドイツと日本では狩猟制度そのものが違うため、支出項目も、日本では理解できないものも多い。したがって狩猟経済の赤字が日本でもまったく同じようになるとは限らないが、黒字化するとも思えない。ドイツの支出項目は以下のようである。

2005年度獲物の総額 182.5百万ユーロ(食肉としての流通:イノシシとノロジカの合計1億3234ユーロ=172億円)


2005年度の狩猟に関する支出 

 狩猟免許交付料 18.5百万ユーロ(2億4500万円)

 強制保険料 16.0

 猟区賃貸料 366.2

 狩猟税 65.0

 狩猟動物保護育成費 98.0

 狩猟保護 32.0

 農業加害補償・施設費 61.0

 装備・教育費 62.0

 猟犬飼育費 36.0

合計 754.7百万ユーロ(981億円)


このデータはドイツ狩猟保護協会(DSV)発行「DSVハンドブック2007」から取られたものであるという。以下の資料も同様である。



ドイツの狩猟経済は、金持ちの狩猟家が、装備や専用の狩猟場維持に金をかけて楽しみ、狩猟産業や、自然保護にお金が回るように組み立てられているもので、食肉で稼いだ金を自然保護(頭数調整)にまわすような構造にはなっていないらしい。

今日本では、ジビエで稼げれば、シカ頭数の調整に役立つと盛んに言われているが、ジビエの本場で、野生肉がどのくらいの価格で売られているか、というデータもあった。

狩猟動物の猟区渡し平均価格(1kgあたり)

アカシカ 4.5ユーロ(585円)

ダマジカ 5ユーロ(650円)

ニホンジカ 4ユーロ(520円)

ノロジカ 5ユーロ(650円)

シャモア 9ユーロ(1170円)

イノシシ 4ユーロ(520円)


前と同様、現在の相場1ユーロ130円で換算すれば、カッコ内の価格になる。

この価格帯であればこそのジビエの普及(もちろん歴史的な食文化と言う面がなければ成り立つはずもないが)である。

その結果、どこまでが食肉として流通しているかは不明だが、以下の頭数が捕獲されている。

年間捕獲頭数2005年度

アカシカ 62,902頭

ダマジカ 52,186頭

ニホンジカ 1,194頭

ノロジカ 1,077,441頭

ちなみに州単位で見ると、オオカミのいるラウジッツ地方、ザクセン州では、ノロジカがこのくらい獲られている。

ザクセン州 35,212頭

全体の頭数の2割獲られていると仮定すれば、ザクセン州周辺に17~18万頭程度のノロジカがいることが考えられる。これらはオオカミのエサでもある。

ドイツでは狩猟は、ビジネスマンや政治家が、あたかも日本でゴルフをそうしているように、接待に使うような位置づけにあるもののようだ。

今までは、ドイツはこのような狩猟のみによる野生動物の調整を行っていた。貴族の楽しみの延長のような狩猟であり、金のかかる遊びなのだ。

頭数調整を狩猟だけに頼るということは、お金をつぎ込み続けることだ。ジビエでも経済全体としては資金は回収できないと考えたほうがよい。


2013年1月 3日 (木)

狩猟振興策でシカ抑制ができるか?~無理だと思います

 狩猟者を増やそうという努力が官民で始まっている。

目的は、狩猟人口をこれ以上減らさないことにある。これ以上減っては、鳥獣保護管理の目標が達成できないからである。

(狩猟者登録数の変遷グラフ)

1

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 このグラフも古くなって、最後の棒が2000年である。その後の経過も含めて新しい図表が作られないものだろうか。最後の棒が示す登録数は約20万人であるが、2~3年前に猟友会の会員が10万人を切ったというニュースがあり、登録数も時間の問題と見ていたが、登録数もそろそろ10万人を割り込んでいい頃だと思っている。

 昨年はいろいろな機関から狩猟の魅力を発信する試みが発信されていた。

●狩猟の魅力まるわかりフォーラム(環境省)

http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=15844http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=15844

 




 こうした呼びかけだけでなく、他各自治体や都道府県の捕獲手当ての増額や猟期、狩猟種等の規制緩和によって、狩猟の意欲を高めようという試みも多くなった。

ジビエ振興策というのもその一環であり、ジビエによる狩猟者の収入増があれば、狩猟意欲も湧くだろうとの狙いである。

 このような努力は敬服に値する。必要なことであることには同意する。オオカミ再導入のためにも、欠かせないことであるのは確かなことである。

しかし、、現場対応のミクロの対策としては正しいが、マクロの、日本全国でのシカ頭数抑制対策(政策というべきかもしれないが)として、これが唯一の方法であるというのは間違っていると考える。狩猟だけでは、今の状態を改善することはできないからである。

 そう考える理由を以下に述べようと思う。


まず趣味の狩猟者がいくら増えてもシカの頭数を減らすことにはつながらない。


・技術が伴わない。狩猟者として一人前になるために必要な時間は、頻繁に出猟する人でも
10年は必要ではないだろうか。都市在住の趣味のハンターが年に何回出猟できるのだろうか。やはり猟友会主体の管理捕獲に参加してもらうほかないが、趣味の域を超える負荷を覚悟する人はどの程度いるのだろうか。


・趣味のハンターはノマドハンターと呼ばれることがある。ノマドは遊牧民のことである。遊牧民は家畜のエサを求めて草の多いところを選んで移動を続ける。ノマドハンターは、シカ密度が低くなれば、成功率が低くなり、獲物の多い猟場へ移動してしまうから、シカの密度を減らすことにはつながらないのだ。技術がなければなおさらなのだ。

 その事例は、世界各地にある。ドイツでは、34万人のハンターがいて、130万頭ものシカ類を狩猟しているが、山間地では、森林の食害がなくならない。狩猟者団体の代表は、「人数は問題ではない」と言っている。

 アメリカにも全米で80万人のハンターがいるらしいが、各地の森林でのひどいシカの食害が「捕食者なき世界」に紹介されている。

 本当に狩猟者を養成してシカを減らす意思があるなら、本格的な猟師養成プランが必要である。ドイツには、そうした養成機関がある。2~3年の養成期間で、年に30~40人ほどのハンターを養成し、なおかつ専門職としての収入を得られる職を用意しているのである。そのドイツの情報は、環境省職員も出席したあるシンポジウムに招聘された狩猟者団体の関係者が講演したということなので、環境省も知っているはずなのだが、その動きはないのだろうか。

 

 また、本気でシカの頭数管理を猟師の増員で成功させようとするなら、最低でも10~15万人程度の元気な若いハンターが必要であると考える。

 シカの増加が問題として研究者の目に入ってきたのは1980年代になってからである。それ以前の70年代に狩猟者登録数はピークにあった。約50万人の狩猟者が登録されていた。このうち大物猟に出猟していたのがどの程度の割合になるかは、不明であるが、現役ハンターに聞いた印象では、シカ、イノシシを対象とした猟を行う割合は2~3割だというから、多めにみて、3割15万人、平均年齢30代の猟師がシカ猟を行っていたと推測できる。その時期は、シカは増加の気配を見せなかった。その猟師が減り始めるとすぐにシカは増え始めている。


 15万人の40歳未満の猟師がアクティブに活躍する山野であれば、シカの頭数抑制も期待できるかもしれない。だからその程度に狩猟者養成数目標を置いてもいい。狩猟フォーラムとは、そのような目標値を置いての環境省の施策なのだろうか。



 でも、それ以前は、もっと少ない猟師だったじゃないか、という声も聞こえてきそうだが、それにも背景がある。

 終戦からの数年間、日本中を食糧不足が襲っていた。600万人の引揚者は生活の糧もなく、そのうちの推定100万人が全国各地の山間地に入植し、開拓部落を開いていった。昔の開拓部落という集落はどの地域でもあり、聞いたことがある人は多いと思う

森林を切り開いて作った農地では数年の間自家用できるものでさえ十分に栽培できるかどうかわからない。

 その結果、狩猟免許の必要性など感じない山間地の青壮年がたくさんいたから、野生動物は集落に現れればたちまち食糧にされてしまった。狩猟者を増やす必要があるのは、山間地、中山間地の住民としてなのだ。しかし、山間地集落は既に撤退が完了しそうなところまで来ている。

中山間地でようやく一部の集落が残っている程度である。狩猟の担い手はほとんどいない、食糧としての要請もない。


 中山間地に新規就農しようという若者に狩猟技術は必須である。そのような狩猟者が増えることは有効である、が、就農者は本業で覚えることも稼ぐことも山のようにあるのに、狩猟に駆り出されるのは迷惑なことではあろう。



 結局、狩猟圧は、山間地の人口と食欲、金銭欲しだいなのだ。明治日本の乱獲は金銭欲が高じたものだが、戦後の狩猟圧は、食欲に駆られたものだった。そのどちらかのインセンティブが働くなら、狩猟者の意欲も持続するかもしれないが、シカ1頭獲っても1万円2万円の収入(それも集団で)にしかならないのでは、意味がない。それも本州では1人で獲れるわけではないし、獲ってからの手間もたいへんなものだ。下界に肉を持って下りてきても、その肉がひっぱりだこになるくらいならまだしも、誰も食べてくれない、皮や角を現金化しようとしても、二束三文の単価では、意欲も湧きようがない。


 ジビエについてもう一言付け加えるなら、食肉の量の点で、頭数を抑制できるほどの消費を作ろうとするなら、現に流通している多量の牛肉や豚肉を価格の点で押しのけるものでなければならない。逆に猟師に金銭的なインセンティブを与えるためには、今の単価、手当てでも足りない。その二つは、両立はできないのである。

 このような点から、いま都市の住民の注意を喚起して、狩猟者を増やし、昔と同じように狩猟圧を上げるというのは、まったくもって無理というものであると考える。

 ここまで広がったシカの分布をカバーして、全体の密度を適度に下げることは、これから手を挙げる趣味の都市在住ハンターにはできない。

 本格的に養成した少数のプロの狩猟者が、シカの分布と人間領域の境界を守り、人間の手の及ばない領域ではオオカミ再導入によって生態系を修復し、バランスを回復する。趣味のハンターは密度が下がって、より難度が高くなった狩猟に挑む「ディアハンター」になる、というのが理想的な姿ではないだろうか。


2012年10月17日 (水)

ジビエとオオカミ再導入は両立するか



ジビエ料理のイベントに出かけたら、参加されていた方から、「私はオオカミに反対です」と言われた。

その方はジビエを熱心に進めているらしい。
なぜジビエ推進、シカの頭数調整に貢献するためのジビエとオオカミ再導入が対立することになるのか、よくわからない。


オオカミの狩は選択的である。
オオカミはシカの群れを追いかけ追いかけ、弱い個体、若齢個体、病気やケガをしている個体を選択的にしとめる。
狩猟は非選択的、偶然に左右される。狩猟者の目の前に現れた個体を撃つ。
むしろ健康な個体を選んで、撃つ。トロフィーにする場合でも、食用を考える場合でも、大きな個体を選ぶ。



ジビエを否定もしない、目の敵にするわけでもない。


...
オオカミはシカを含む生態系の自然調節の役割を果たし、シカの群れを健康に保つ。
健康な個体はむしろ狩らずに、より容易い弱い個体を選ぶ。
一方ジビエのためには、おいしい肉を備えた健康な個体を狩猟で利用すればいいのである。



ジビエとオオカミ再導入は両立する。
狩猟は非選択的であり、オオカミは選択的狩をする。


オオカミは生態系の自然調節を。
ジビエは最高の肉を。


という役割分担をすればいいのだ。

2012年10月16日 (火)

ジビエと狩猟の限界~人間にオオカミの代わりができるか

長いこと日本の自然の中では人間とオオカミが食物網の頂点にいた。

オオカミが退場し、100年以上もの間、人間だけが君臨してきたが、

人間が狩猟で野生動物の頭数まで調節できるような時代はもう終わっている、と思う

なぜ人間の狩猟が野生動物の頭数を左右できていたのかといえば、今のようにスーパーで簡単に手に入るような肉が出回っていなかったからだ。

日本では、歴史家たち高度成長期

社会変動期が激しかったのは南北朝時代と高度成長期だった」(網野善彦)

稲作農耕や鉄器使用が始まった弥生時代に匹敵する変化」(経済史家 原 朗)

「農村からの人口流出=地滑り的民族大移動」(元農業総合研究所所長並木正吉)

と表現しているほど、高度成長時代は技術革新が進み、人口が移動した時代だった。

その時期を間に挟んで、人間の技術や行動は驚くほど変化している。

70年代に食肉流通は従来と比べて格段の進歩を遂げた。畜産業が拡大し、ようやく完成した高速道路、舗装道路とチルド流通網に乗って全国くまなく、食肉が流通するようになった。

どんな山の中でもパックされた豚肉が食べられるようになったのだ。次いで牛肉の輸入が自由化され、80年代には安い牛肉が出回るようになった。山間地でさえ、牛豚肉が近所のスーパーで簡単に購入できるようになった。


その頃から猟師はいなくなった。そして山間地集落から整備された道路によって、人は下界に降りるようになったのだ。過疎が問題になり始めたのもその頃だ。

今と違ってまだ人口が右肩上がりの時代に過疎が問題になるのは、下界にもうけ仕事がたくさんあり、山間地では仕事がなくなっていったからだ。

遡れば、明治維新以来人口は増加し続け、農地は山間地へ向かって拡大し続けてきた。その過程では、食糧は十分でなく、山中に住む住人は野生肉を十分に獲り、食べてきたはずだ。

その時代は、高度成長によって終わりを告げた。狩猟者、あるいは狩猟者でなくとも、野生獣を殺し食べる習慣をもつ者は、山間地の人口とともに減った。

その頃、高度成長開始前の山間地人口は、あてずっぽうな推定だが、数百万人。終戦後全国各地に入植した開拓村(引揚者開拓団)の総数は全国で22万世帯と言われる。人口にして100万人くらいのものだろう。こちらはある程度信憑性がある数字だ。この人口が山を切り開く最前線だった。

昭和30年代までの山間地には、食うや食わずの100万人の人口があふれていた。当時、集落に現れた大型動物はほとんど集落の胃袋に収まった。狩猟人口だって、ピークだと言われる70年代以前、免許など取ろうともしない狩猟人口が山中にたくさんいたのだ。これらの話にはいくつかの傍証がある。

ジビエで野生動物を減らすには、その数十万の狩猟者の活動に匹敵する活動と、数百万人の胃袋に匹敵する消費を用意しなければならない。

先進国でシカが増え始めたのも同様の理由だろう。

途上国では依然として野生動物が食糧になり、数を減らしている。

いくらトロフィーがほしいから、あるいは管理捕獲で尻をたたかれているからといって、獲物を求めて1週間も山中を歩くことは、今はない。

その当時との力の差を自覚しなければ解決しない。

問題は、狩猟派、ジビエ派が、人間の力を過信していることだ。

人間が本気を出せば、シカの頭数調整は行き過ぎるくらいになる。

そう思っている。しかし、その本気には背景が必要である。人口と食欲だ。または金銭欲だ。

豚肉よりも、牛肉よりも強い食欲をそそる肉になるだろうか。

はるか昔、明治の時代にシカを1頭獲って、肉を売り、毛皮、鹿角を売って得る金銭は、今の金銭感覚では、おそらく10数万円にあたるはずだ。それだけのインセンティブを用意できるだろうか。


そのころ日本は乱獲の時代
だった

何十年もオオカミの代わりを人間が務めてきた背後には、食欲と金銭欲があった。
その食欲も、「飢え」に近い食欲である。
今の食欲は、グルメ。

その差は歴然としている。

飢えに代わるような強力な動機を用意しなければ、永続的な野生動物の抑制は人間にはできない。